テーマ:今日の健康状態は?(10612)
カテゴリ:健康
2月中旬のある日、仙台の気温は21度近くまで上がった。2月の最高気温としては史上初の20度越えだった由。だが一転、翌日の最高は6度。それも夜中に出たもので、日中は冷たい風が吹き荒れていた。この週末、低気圧の通過で大荒れとの予報だったが、雨も風も思ったほどではなかった。こうやって一進一退を繰り返し、春は近付いて来るのだろう。 ノンフィクション作家の桐山某氏が亡くなった。糖質制限ダイエットの推進者だった由。死因は心不全で、享年は61歳。長く患っていた糖尿病を治したい一心でダイエットに励み、18kgの減量にも成功したようだ。だがこの糖質制限ダイエットは、医学界から危険性が指摘されていたようだ。脂肪やタンパク質中心の食事は、血管をもろくさせたのかも知れない。それに脳の唯一の栄養はブドウ糖のみ。何でも極端な方法は良くないとの見本だろう。 私もある接骨医から「あなたは極端だね」と言われたことがあった。走れる時は100kmも走るのに、体調が悪くなったら10kmも走れなくなる。5年ほど前から、私はそんな状態にあった。恐らくは老化に加えて、不整脈の影響が強く出始めていたのだろう。血液が3割ほど逆流して、まるで高山病のような症状が起きる私の不整脈の発作。運動が出来なくなると体力も落ち、早歩きさえ苦しく感じたものだ。 手術後の定期検診の結果を聞きにK病院へ行った時、執刀医は「脈飛びが出ている」と私に言った。「ははあ、やはりそうだったか」と私は思った。寝ていても何かがおかしいと感じたことが数度。そして24時間計測のホルター型心電図計を装着した前後も、心臓の幽かな変化は感じていた。あれがそうだったのか。だがドクターは言う。「歳を取ると脈が飛ぶことは普通に起きる」のだと。 病院から坂道を走って帰った時も、さほど心電図の図形は乱れてなかったようだ。2回目の手術後にジェット風船が膨らまなかったのは、気胸のせいではなく横隔膜のせいとドクター。高熱で不整脈の源を焼き切った際、近くの横隔膜にも一時的に影響する由。胃が苦しいと言うと、現在の胃薬の服用を続けるよう指示された。これも不整脈手術の後遺症なのだ。 病院からの帰路、私はコンビニで1枚の板チョコを買った。その銀紙を破き、歩きながら板チョコを食べた。誰にもチョコを貰えなかった今年のバレンタインデー。消費税込みで111円のチョコは、頑張った自分自身へのご褒美でもあった。 西風が強く吹いた日、私は6日ぶりに走りに行った。心臓には少し不安があるものの、きっと大丈夫なはず。向かったコースは走友会のかつての練習コースだった。だが、坂を走って登るのは無理だった。「ああ、もうこんな坂も俺は登れなくなったのか」。自分の体力の現状を、はっきりと思い知らされた。そのまま山の上に向かわず、川沿いのコースを選んだ。ゆっくりゆっくり、風に背中を押されながらのラン。久しぶりの風景が懐かしかった。 帰宅後「ジョギングシュミレーター」で距離を測ると13.2km。時速5kmのランは歩くようなスピードしか出ない。それが今の自分の走りなのだ。さて、昨年の秋に太白大橋から名取川を覗いた時、鮭の遡上が見られなかった理由が分かった。鮭は孵化して4年目に故郷の川に還って来る。その4年前は東日本大震災の年で、孵化場にも被害が出、河口の川底も津波で大きく変化した。あの年、海へ戻れた稚魚がほとんどいなかったことにようやく気づいたのだ。 「無理するなと言うけど、時には無理も必要なんだよ」。これは76歳になるM仙人の言葉。私も全くの同感だった。先日雪の松島でたまたま会った高校の同級生は「心臓の鼓動の生涯の回数は決まっている。お前はランニングでそれを使い果たした」と私に言った。「それでも俺は悔いはないんだよ」。私はそう答えた。 もう無理だと思った時点で、人間は冒険が出来なくなる。これほど体がヨレヨレになりながら、まだ走ろうとする人は少ないだろう。走っている姿は無様でもある。それでも自分は自分を信じ、ジョギングが健康に良いと心からそう思っているのだ。 先日近所の人がコピーを持って訪ねて来た。ある合唱団の60周年記念祝賀会の資料に、私の名前があったと教えてくれたのだ。何とそのご主人も同じ合唱団に所属し、祝賀会に出席された由。私がそこで歌を歌っていたのはもう50年も前の話。Tさんのご主人はずっと後輩だが、まさかあの合唱団で歌っていたとはねえ。名簿を見たら、まだ現役の仲間が4人もいた。50年以上も歌い続け、年齢は70代半ばに達したはず。人間の意思の凄さを知らされた思いだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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