カテゴリ:文化論
<蔵の美>
伊達政宗の次女牟宇(むう)姫が嫁入りの際に持参したとされる大名雛を展示していたのが角田市郷土資料館でした。ここは角田城主である石川氏の出入り商人、氏家家の邸宅跡です。敷地内には今でもたくさんの蔵が残されています。今日はそれらの蔵をご紹介します。 表通りに面した蔵です。角田はかつて阿武隈川の水運で栄えました。上流の伊達郡、信夫郡(共に福島県)などは幕府の天領であり、この城米を江戸に運ぶため幕府が治水家川村瑞軒に命じて、阿武隈川の改良工事を行ったのです。当時は角田にも船着き場があり、氏家家もその水運を利用して商売を行っていたのでしょう。 美しい「なまこ壁」が施されています。 伊達藩では藩祖伊達政宗の命により、積極的に土地開発を進めました。その結果毎年30万石程の余剰米が出たのです。これを茨城県の那珂湊、千葉の銚子経由で利根川に入り、水路を通って江戸に運びました。当時伊達藩は河川用の平田船を836隻、海洋用の千石船を500隻所有していたそうです。それを見た秋田の佐竹藩、青森の津軽藩、岩手の南部藩も東廻り航路で江戸に米を運ぶようになったのです。 邸宅の内側から見た蔵です。 伊達家一門筆頭格の石川家も明治に入ると生活が苦しくなり、城の建物や什器を商人に売り払います。その商人も、阿武隈川沿いに鉄道丸森線(現在の阿武隈急行)が敷かれ、水運が廃れると次第に活気を失って行きます。現在角田市の人口は3万人余。今でも減少し続けているのです。 敷地内の別な蔵です。 かつての城下町も、今では寂れた地方都市になってしまいました。かつての栄光と町の誇りを説明してくれた職員の態度からも感じましたが、高齢化と少子化、人口減少が進む地方都市の厳しい現状を思わざるを得ませんでした。 蔵の裏面です。 たくさんの収蔵品を収める蔵型の収蔵庫です。 見事な景観ですね。この一部が資料館として公開されています。 蔵の重厚感が良く分かりますね。 蔵の扉です。この部分は収蔵庫として利用されています。 収蔵庫の扉です。きっと火災にも強いのでしょうね。 その一部を拡大して見ました。単純ですが美しいデザインです。 長屋風に収蔵部分と公開部分が並んでいます。 蔵の内部。天井と梁が見えます。単純な構造ですが地震にも強そうです。 東から見た蔵(資料館)の裏側です。 南から見た蔵(資料館)の側面です。今日は折角書いた文章が、自分の操作ミスで全部消えてしまいました。2度目なので少々簡略してあります。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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