テーマ:最近観た映画。(39954)
カテゴリ:芸術論
つい最近2本の映画を観た。1つは『エヴェレスト神々の山嶺』であり、もう1つは『家族はつらいよ』。共に日本の作品だが映画の内容は全く異なる。強いて言えば、人間とは何か、そして家族とは何かを考えさせる映画とも言えようか。 『エヴェレスト神々の山嶺」の原作者は夢枕獏。顔と名前は知っているが、これまで彼の本を読んだことはなかった。監督の平山秀幸も今回初めて知った人。出演者は伝説の登山家羽生丈二役が阿部寛。彼の元恋人が尾野真千子。羽生を追って取材するカメラマン深町誠役が岡田准一。日本人登山家に佐々木蔵之介。雑誌社の編集者にピエール瀧と言ったところ。エベレストでの現地撮影は実に圧巻だった。 話はカトマンズの古物商から始まる。ここで深町は1台の古いカメラを発見する。標高8848m世界最高峰のエベレストの登頂に成功したのはイギリスの登山家ヒラリー卿とシェルパのテンジンの2人だが、それより29年遡る1924年6月28日にエベレストで消息を絶ったジョージ・マロリーが愛用したカメラではないかと思われた。もしフィルムが残っていたら、初登頂の記録が変わる可能性があったのだ。 マロリーの名を知らない人は多いかも知れない。だが「なぜ山に登るのか」と問われて、「そこに山があるからだ」との言葉は聞いたことがあるはず。それがマロリーの答だった。 日本から消えた羽生を深町はネパールの山奥で見つけた。そこは現地のシェルパ族の村。羽生はシェルパ族の娘と結婚していた。羽生が向かうエベレストへの同行を、深町は懇願する。世紀の登山を撮影するためだ。冬季の南西壁の単独直登でしかも無酸素。通常ならあり得ない話だが、敢然として羽生は絶壁を登って行く。それを追う深町は途中で岩壁から滑落する。 夢枕獏のこの作品は『小説スバル』に連載後、漫画化されたようだ。一見奇想天外なストーリーだが、モデルになった登山家がいた。冬季の谷川岳第3スラブの初登頂に成功した森田勝がその人。一匹狼の彼は、日本のエベレスト登頂隊員にも選ばれたが、ルートを巡って喧嘩し一人だけ下山した男だったそうだ。結果については書かないで置く。 しかしあれだけの画像を撮るのには、相当の苦労があったはずだ。撮影スタッフは元より、俳優達の苦労が偲ばれる。命がけの撮影と演技。一歩間違えば死が待っている。実際に岩場で宙吊りになる場面が幾つかあった。私は原作も漫画も知らないが、良くも映画作品として昇華出来たと密かに舌を巻いたのだった。 さて一方の『家族はつらいよ』は全く趣を異にしている。監督と脚本は『男はつらいよ』などの山田洋次。この映画は3世代7人が同居する大家族のコメディードラマである。 70代の老夫婦役に橋爪功と吉行和子。長男夫婦役に西村雅彦と夏川結衣。家を出た長女夫婦役に中島朋子と林家正蔵。次男とその恋人役に妻夫木聡と蒼井優。脇役としての出演が探偵に小林稔侍、警備員に笹野高史、医師役に鶴瓶と錚々たるメンバーがそろった。 話は50年間も連れ添った老夫婦の妻が夫に離婚を迫るところから始まる。平和な一家に吹き込んだ突然の嵐。家族はうろたえ、すったもんだを繰り返した揚句、家族会議を開く。この一大事をどう乗り切るのか。その大事な場面で緊急事態が発生する。それに対して沈着冷静に処置したのが意外な人物だった。 家族とは一体何なのだろう。現代の日本で、これだけの大家族が同居して暮らしている事例は少ないと思う。特に舞台は大都会。それだけの家を建てられるのでさえ奇跡的なことのようにも思える。 「熟年離婚」は今ブームのようだ。少子化に高齢化が進む日本。空き家が目立ち、孤独死も決して珍しくなくなった。そんな時代に私達はどう生き、どう死ぬのか。これから家はどうなり、お墓は一体誰が守って行くのだろう。 しかし考えてみれば、この作品のように家族が一堂に会することが出来るのも、家族が家族として「機能」していればこその話だ。だからこそこんな喜劇が生まれる。もしも家族が崩壊していたら、とてもこんなドタバタ劇は生まれないだろう。喧嘩が出来るうちはまだ良いのだ。多少の波風は平和の証とも言えよう。 現代日本では結婚が出来ないままの若者が多い。我が家の2人の息子もそうだ。大都会に1人で住み、そこで働いているが、身分は不安定で将来の保証はない。彼らの将来と老後が心配な親だ。このまま彼らが我が家に戻ることはないのではないか。そして余命少ない親は自ら断捨離し、自ら終活するしかないのだろう。 今回観た2本の映画は、私にそんな想いを抱かせた。しかし『エヴェレスト』の遺されたシェルパ族の家族の今後は一体どうなるのだろう。人生の厳しさは、日本もネパールの山奥も、ひょっとして案外同じなのかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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