カテゴリ:健康
<「事故」の顛末>
入院2日目の昼、初めての食事が出た。メニューは忘れたが薄味の病院食で、とても美味しかった。到底自分では出し得ない味。そしてご飯が220gもあったのには驚いた。私が通常食べているほぼ倍の量。夕食は6時。これも美味しくいただく。自分で食事を作らないなんて久しぶりのこと。それだけでも贅沢な気分。手術が成功裏に終わった時から、私は目には見えない神様に感謝の言葉をつぶやいていた。 夕方から担当の看護師さんが若い女性に交代した。高校時代の部活の話やなぜ看護師を目指したかなど、とても気さくに話してくれた。その彼女に下半身を曝すことが出来ず、小用は起きて備え付けの尿瓶(しびん)で行った。 それが禁止されていることを教えてもらったのは、翌日の担当のベテラン看護師さんから。このブログでもいかにも知った風に書いているが、実際はほとんど何も知らず、その後の知識を加味して書いているだけなのだ。電車が通過する音が微かに聞こえる。こうして入院2日目の夜は静かに更けていった。 9月17日。日曜日。入院3日目の朝は3時半ごろに目が覚めた。気分は悪くない。まだ暗い病室で色んなことを考えた。急患としてこの病院を訪れた際、執刀医となったMドクターが言った「助かりますよ」の言葉を思い浮かべていた。助かるなんて当り前じゃないか。第一自分が病気だなんて思ってなかったのだから。だが、MRI写真の脳の写真は全くの想定外。あれには正直驚いた。 街中の脳神経外科とこの病院のMドクターには転んだことはないと答えたが、待てよ1回だが転んだことがあったなあ。突然ある「事故」を思い出した。それは今の自転車を買った日のこと。初めての電動アシスト付き自転車はハンドルがやけに重く、操作性が悪いことに気づいた。それでも慣れる必要があるため、安全な裏道を通って買い物に行ったのだ。 登り坂に差し掛かる手前、前方から急に車が現れた。車がやっと通過できるかどうかの細い道。すれ違うことなど出来はしない。私は咄嗟にハンドルを左に切った。そしたら倒れて私はコンクリートに頭の左側を打った。「大丈夫ですか?」。運転手が尋ねた。「大丈夫ですよ」。私は答えた。打ったのはコツンと軽いもので、痛くもなんともなかったからだ。そして起き上がってそのまま買い物に行ったのだった。 自覚症状が全くないため、あの時に軽く頭を打ったことなどは忘れていた。それが数か月後になってから、重篤な病気だったことに初めて気づくなんて。15年間乗っていたマウンテンバイクなら、ハンドルの操作性やグリップ力の強い太いタイヤで急ハンドルでも倒れなかったはず。 だが新しい自転車のタイヤは細く、おまけに以前は無かったコンクリートの駐車場の床に5cmほどの段差があった。悪い条件がたまたま5つほど重なった「事故」。しかも私は「血液サラサラの薬」を服用していたため、血が止まり難かったのだろう。得てしてこんな時には「泣きっ面に蜂」になりがちだ。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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