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マックス爺のエッセイ風日記

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2017.09.29
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カテゴリ:生活雑記
<あれから>

  

 退院した日、帰宅して整理が一段落すると私は冷蔵庫の中の食品を調べた。延べ5日、実質4日間の留守中に、おかずが悪くなってないか心配していた。それを義姉に話すと、馬鹿にしたような笑いを浮かべた。「そんなことは小さいよ」。勿論分かっているが、自分にとっては大きいのだ。生きるためには先ず食べなければいけない。おかずが無ければまた作り直す必要がある。結局どれも傷んではおらず、まる2日分古いおかずで凌いだのだった。

               

 翌日私は街へ行った。広瀬通の脳神経外科へ預けていた自転車を取りに行くためだ。執刀医からは「当分自転車には乗らないよう」厳命されていた。それにも関わらず私はそれを無視したのだ。ビルの地下に自転車は無かった。管理人に尋ねると、病院から言われて別の場所に移動した由。ヤレヤレだ。病院の受付に礼を言い、自転車に乗って帰った。その途中に買い物をした。こうして再び通常の暮しが始まった。

  

 自転車は私の暮しに不可欠だ。だがドクターの勧告を無視して早速引き取りに行ったのは、街中の病院に迷惑を掛けたくなかったこともある。それよりも今回の手術で以前あった頭痛やふらつきの症状が消えていたことが大きい。転倒すれば再びあの二の舞になり兼ねない。だから全ては自己責任。人生とは危険との隣り合わせ。私はそう開き直って生きている。

          

 農作業も始めた。庭の雑草が伸び、畑のモロッコインゲンが枯れ出していた。それに台風の影響でシュウメイギクや雲南百薬の支柱が倒れかかり、ゴムの木の鉢が倒れていた。インゲンは苗を抜き、収穫物は後で仕分けした。まだ若くて食べられる莢、莢は駄目だが中の熟した豆はいけるもの。50本ほどの枯れた莢から豆を取り出し、別な日に煮た。幼い頃飢えた経験のある私は、食物を粗末にしたくないのだ。

  

 ついでに2本の万願寺唐辛子も抜いた。しまったと思ったが後の祭り。そこはまだ放置していても良い畝だったのだ。モロッコインゲンの畝を耕して発酵鶏糞と石灰を撒き、後日大根と春菊の種を追加で蒔き、白菜の苗を追加で植えた。秋口に入って3度目の天日干しを終えた梅干しを食べ始めた。落ちたのと枝に残っていた熟した実。不細工ではあるが梅干しの味はする。3日ほどかけて畑と庭の草を抜いた。

          

 退院の2日後、自転車で兄宅へ行った。兄嫁はビックリ仰天。手術を終えたばかりの人間が自転車に乗っても良いのかと言った表情。症状が改善したことを簡単に説明した。ベッドに臥せていた兄を姉が起こして車椅子に乗せた。2度の脳出血と5度の脳梗塞で1級障害者、介護認定5の重病人。その兄を子宮筋腫や不整脈の手術をした兄嫁が介護しているのが実態だ。

  

 話は自然と「終活」に向かう。墓終いの件、私の体調と遠隔地にいる子供の件、老後の健康と生き方の件など。前妻との離婚に悔いはないかと問われて、「全くない」と私。離婚の事情は兄弟はもとより、自分の子供達ですら良く知らないはず。核家族化、少子高齢化社会の弊害は今後ますます深まるに違いない。死に向かいつつある兄に別れを告げ、慎重に自転車を運転して帰宅。途中で買い物を済ませる。<続く>





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Last updated  2017.09.29 06:27:09
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