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マックス爺のエッセイ風日記

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2017.10.26
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カテゴリ:旅、温泉
<壱岐の旅 その1>

   壱岐への船内

    暗雲に少し明るき西の空明日の天気は雨か曇りか
    壱岐の島玄界灘に横たはる黒き龍なり長く連なる

     

           <壱岐の地図=ネットから借用しました>

 さて、壱岐の旅の話を書こうとしても現地でもらった地図が見当たらないのです。これは困った。私にとって地図はとても大事な資料。しかも島の地図なんて現地じゃないと手に入らないのです。仕方がないので、私のメモを中心に話を進めようと思います。

  

 これが第一夜。壱岐のホテルの夕食でした。メインは壱岐牛や玄界灘で獲れた新鮮な魚の刺身など。私はこんな豪華な食事でなくても良いのですが、グルメもこの旅の「売り」なので、毎回豪華な食事になるのですが、私はそのことを全く失念していました。

          

 私は焼酎を頼みました。日本で初めて麦焼酎を作ったのがここ壱岐と聞いたからです。で、最初に飲んだのは「雪州」。雪舟と関係があるのかと思ったら、島の形が雪の結晶に似てることからの命名とのことでした。2杯目は「壱州」。これは昔の国名でもある壱岐からの命名でしょう。どちらもオンザロックで飲みましたが、実に深い味わいでした。

 夕食の時間になっても添乗員さんと札幌からのツアー客は来ませんでした。結局彼らがホテルに着いたのは8時半頃だったようです。添乗員さんが9時近くなってから部屋を訪れ、それらの事情を話してくれました。

  

 中途半端な写真になりましたが、これが第2日目の朝食。グルメツアーと銘打つだけに、結構豪勢な内容でした。ツアーの人数が16名と限られているのは、行き先の道路が狭いせい。マイクロバスのため、人数を制限していたのです。札幌組、仙台組、長野組、そして一番人数が多かった新潟組。合計16名がこの朝初めて顔を合わせたのです。

       

 朝は晴れていた空が、にわかに曇って来ました。そして時々雨も降ります。ガイドさんがそれを「かたぶり」と言いますと説明。恐らくは「偏降り」。つまり島の中では場所によって雨が降る場所と降らない場所があると言うことでしょう。沖縄でも同様の言い方をします。

 さて私のメモによれば、ここは半城湾。「はんせい」と呼ぶようで、湾に浮かんでいるのは真珠を養殖するための筏です。途中には温泉もありました。壱岐は石川県の白山火山帯に属するとのこと。ずいぶん長い火山帯なんですねえ。

  

 ここは黒崎砲台の跡地。明治時代の日露戦争当時から、国境に近い壱岐や対馬では国防のために近代兵器である砲台を備えていました。朝鮮海峡や対馬海峡を敵国の軍艦が通過する時代でした。それが第二次世界大戦にも引き継がれましたが、戦後はアメリカの駐留軍によって撤去されたのです。基礎部分がこれだけ深いのは相当大きかった証拠。砲弾は35km先まで飛んだそうです。

              

 ここは最初の報告にも載せた猿岩です。自然の岩ですが、猿の横顔にそっくり。崩落に備えて補修した部分があるとガイドさんが話していました。週末のウルトラマラソンでは、ガイドさんもここのエイドステーションで給水係をすると話していました。後日TVのニュースにガイドさんが映ったと仲間が話してくれました。ここで少し雨が降り、付近の茶屋で雨宿りをした私達でした。

  

 ここは島の東部、突き出た半島の先端にある「左京の鼻」です。晴れた日には遥か東90km先に、「沖ノ島」が見えるそうです。見えた人がいましたが、目の悪い私には見えません。でも私は今回福岡空港に着陸する寸前に、機中から島を観たのです。まさに奇跡的な出来事でした。神の島である沖ノ島は私にとって長年の憧れだったからです。

         

 左京の鼻の断崖に立つ私です。物凄い強風が吹いてとても危険。しっかり足を踏ん張って立っています。念のため帽子はマイクロバスに置いて来ましたが、正解でしたね。なお、この岬は大昔陰陽師が雨乞いの祈りをした場所とか。祈っても雨が降らず、崖から投身しようとした時に物凄い雨が降り出し、島民は彼に感謝して小さな祠を建てたそうです。今でも鳥居が残っています。

  


 これは同じ半島南側の浜辺にある「はらほげ地蔵」です。お地蔵様が変わっている点は、お腹に穴が開いていること。「ほげる」とは地元の言葉で穴が開いているという意味だそうです。帰宅後、そのことで大変なことに気づきました。

 さて、ここは海女さんが活躍する浜で、お地蔵様は亡くなった海女や海難者を祀るためと聞きました。あの大震災後働く場所を失った岩手県久慈市の若い海女さんが、現在この浜で潜っているそうですね。<続く>





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Last updated  2017.10.26 10:52:11
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