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マックス爺のエッセイ風日記

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2017.10.30
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カテゴリ:旅、温泉
<対馬と戦争>

  

 ここは対馬藩の「お船江」。左が湾からお船江に入るための水路で、幅は10mほどか。右がお船江で、このような石垣が4つ組まれている。つまり石塁の間が船を修理するためのドックと言う訳だ。江戸時代のドックとは珍しい。朝鮮との通商や本土との連絡に船を用いる対馬藩にとって、お船江は藩の存続をかけた重要な施設だったのだろう。

     

 マイクロバスは最後の見学地に向かう。秀吉の朝鮮征伐や家康の国交回復の話は聞いた。だがそれだけでは歴史の真実には迫れない。「これでは片手落ちですよ」。私はガイドさんに言った。「次は何の話をするか知ってるの」。彼女は聞いた。「日露戦争でしょ。是非元寇のことも話してください」。覚悟を決めた彼女はクレームがあったことを伝え、元寇の話をし始めた。

  

 鎌倉時代、元軍2万と高麗軍1万の連合軍が2度日本へ襲来した。元は海戦が不得手で、全て高麗軍の船だった由。大きな船が元と高麗軍。それに対して日本軍は小舟で戦った。元軍は既に火薬を用いており、弓も強力な弩弓(どきゅう)だった。連合軍は対馬の西側に上陸し、次々と島民を惨殺した由。

 それを伝え聞いた東側の島民は小舟にありったけの財産を積み、沖へと漕ぎ出した。疲れ果てて漂流し、着いた先が安東水軍率いる津軽だった由。遥か遠い対馬に帰ること能わず、そのまま津軽で生き延び名前に対馬(津島)を残した。太宰治の本名は津島修治。彼の遠い祖先も対馬からの漂着民だったそうだ。青森県には対馬姓が結構存在する。

  
      
 司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの愛読者である私は、「壱岐・対馬のみち」を読み、元軍の残虐さも知っていた。それで真実を話して欲しかったのだ。前日和多津美神社には、20人ほどの韓国人が訪れていた。ガイドさんによれば25年ほど前から韓国人の来島が急増し、色んな問題を起こしたようだ。韓国政府に改善を申し入れたことにより、今ではかなり良くなった由。

 だが、数年前対馬の寺から仏像2体が韓国人に盗まれる事件が起きた。かつて儒教を国教とした際、それまで貴ばれた仏像を朝鮮王朝が破壊した歴史がある。罰当たりと考えた日本人は願い出て、日本に仏像を持ち帰った。対馬の仏像もその可能性が極めて高いと思われる。それを日本人が盗んだ仏像は奪い返すのが当然と考える韓国人の心情を、私は理解出来ない。

          

 帰宅後旅行記を書き始めた私は、壱岐の「はらほげ地蔵」を思い出していた。あのお地蔵様の胸や腹には穴が開いていた。それは元寇での壱岐や対馬の島民の殺され方とそっくりで、頭部も後で継ぎ足したもの。ひょっとしてあのお地蔵様は、元寇の犠牲者を祀ったのではないのか。だから海岸に立っていたのではないのか。

  

 私の想像は事実と異なるかも知れない。両国の親善のため当初ガイドさんが元寇のことを話さなかったように、現在でも韓国人に対する遠慮があるように感じた。韓国には「対馬はかつて朝鮮領だった」との主張がある由。そして竹島(独島)は元々韓国領と教科書に記載されている。これほど歴史的事実を歪曲する行為があるだろうか。

  

 最後の観光地は万関橋(まんぜきばし)。明治期に海軍が掘った水道に架かる橋だ。水道を掘ったのは朝鮮海峡から東側の対馬海峡へ自由に船を航行させるため。国防の観点から浅茅湾には海軍の基地が設置されていたのだ。

 最初の橋は木造で、馬が怖がってなかなか渡らなかった由。現在の橋は三代目の鉄橋。橋の上は物凄い強風で、私達は途中から引き返した。右側が橋の上から対馬海峡方面を見た写真。人工の瀬戸は幅が狭く、満潮干潮時は特に潮流が激しい。

   
       <旗艦三笠の甲板に立つ東郷平八郎(右)と彼の肖像(左)>

 ガイドさんは日露戦争、中でも日本の勝利を決定づけた「日本海海戦」の話をした。旅順戦で多くの艦船を失ったロシアは明治38年(1905年)ヨーロッパからアジアへ艦船を移動した。そのバルチック艦隊と戦ったのが日本海軍の連合艦隊。指揮を執った東郷平八郎は対馬近海で待ち受け、見事な作戦でバルチック艦隊を破った。それらは司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」に詳しい。

 ガイドさんによれば、敗れたロシア兵がボートで島に上陸したが、島民は暖かくもてなした由。乏しい資源で日清、日露戦争に勝利した日本は、この後急速に近代化へ舵を切る。このように対馬は国境の島として、太古から我が国の最前線であり続けた。沖縄同様、数奇な運命の島と言わざるを得ない。<続く>





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Last updated  2017.10.30 00:00:48
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