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<信仰の島五島 その2>
大瀬崎灯台の次に訪れたのが井持浦教会。ガイドさんに言わせると教会は宗教の組織体であり、建物は「教会堂」と言うのが正確なのだとか。この日は日曜日。まだミサの前で、教会堂の中にも入ることが出来た。私は夢中になって写真を撮ったが撮影禁止の由。残念だったが、それで止めた。人間の手によるものが撮影禁止なんて本来おかしいのでは。これは私の屁理屈かも知れないが。 教会堂の手前には売店があった。中に入ると誰もいない。不用心だが、ここは巡礼者の宿泊所も兼ねている由。ただし食料は自分で持参するルールのようだ。建物内には宗教上の貴重な品物や古い写真が飾られていたが、ここでは自由に撮影が出来た。 ほとんどが和服姿。恐らくは大正から昭和初期のものか。壁には五島出身の神父さんとシスターの顔写真や名前が列記されたリストもあった。長い歴史を有する五島の人々の、篤い信仰心を垣間見た気持ちだ。 キリスト像とルルドのマリア像。フランスとスペインの国境の町ルルドのマリアは、血の涙を流すなど数々の奇蹟を起こしたことで知られている。その奇蹟にあやかるため、井持浦教会の裏手に人工の洞窟を造ってマリア像を安置した由。幾つか奇蹟が起きたとガイドさん。果たしてどんな奇蹟だったのか。 隠れキリシタンへの迫害の実例だが、8畳2間に200名の信者を詰め込み、食事も睡眠も排泄も立ったままで行わせた由。2か月間で40名以上の犠牲者が出たが、誰一人信仰を捨てる村人はいなかったそうだ。明治に入りカトリックが伝わると、新しい教会堂を建てるため天草から筏に組んだ材木が運ばれ、村人は喜んで多額の費用を寄進した由。 やがて厳粛なミサが始まった。入り口のガラスの小窓から、中の様子が霞んで見えた。人里離れた奥地のせいか、信者は10名にも満たない感じ。きっとここにも少子高齢化や過疎化の波が、ひたひたと打ち寄せているのだろう。 次の訪問地の高浜海岸に向かう途中、ガイドさんがお寺の話をした。大宝寺は空海と縁のある寺らしい。軽く聞き流していたのだが、それが重要な鍵であることを後で知る。ここ高浜ビーチは日本一美しい海岸とのこと。あいにく台風の影響で空は曇り、海は鈍色にしか見えなかった。マイクロバスが一際高い場所まで上ると、幾分きれいな色に変わった。晴れていればさぞやの景観だ。 車窓からピンク色の花が見えた。ガイドさんに尋ねるとサキシマフヨウ(先島芙蓉)とのこと。ついでに「クサギも咲いてますか」と私。「ちょうど今咲いてますね」と彼。やはりそうか。どちらも8年ほど前に一人で沖縄本島を走った時に、島の北部で観た。クサギ(臭木)は本土の種類とは異なり、台湾系であることも知っていた。あの懐かしい花2種を、まさかこの島で見られるとは。 マイクロバスは島の北西部にある三井楽の浜辺に着いた。ここの「遣唐使ふるさと館」で小休止。ここで驚くべきことを知った。あの弘法大使空海が遣唐使船に乗って、この三井楽に寄港したのだそうだ。そして数年後に帰国した際立ち寄ったのが、先ほど訪れた玉之浦。つまり空海は中国への旅の往復とも、この福江島へ寄ったのだ。大宝寺は、空海寄港の縁で建立された寺だったのだ。 秀才の空海は短時間で多くの仏典を読み解き、20年の留学が恩師からわずか数年で帰国を許された秀才。うどんの製法まで学んだと聞く。日本で一番最初にうどんを食べたのは福江島と言うのは、間違いなく空海によるものだろう。これでまた一つ謎が解けた。それは良いのだが、台風の行方と飛行機が本当に飛ぶのかが気になる。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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