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マックス爺のエッセイ風日記

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2017.11.13
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カテゴリ:健康
<老いと病>

  

 長崎のブログ友ローズコーンさんがヒルティの考え方について紹介されていた。彼によれば、歳を取って病気になるのは普通のことであり、不安を感じるのもごく当然のことと言う。ふ~む、そんなものか。それは私が常々感じていることで、改めて他人の口から聞くと妙に安心し、納得もするのだ。

                  

 カール・ヒルティ(1833-1909)はスイスの法学者で、優れた文筆家でもあった。『幸福論』や『眠られぬ夜のために』は特に有名だ。私もその名と書名は知っていたが、どんな考えの持ち主かまでは知らなかった。時代も生まれた国も違うのに、なぜこれほど共鳴出来るのか。それはごくシンプルながら真理を突いているからだろう。

  

 「白内障は病気ではありません」。眼科医に前回そう言われた。それは老化に伴う自然の現象らしい。そう言えば先日TV番組で以下のようなことを聞いて驚いた。「目の寿命はほぼ70年。だが寿命が延びた今では、目の衰えの方が先に来る」。ふ~む、そんなものか。そうなると自分が苦しんでいる緑内障や、左右の焦点距離の違いによる錯視についても、諦めざるを得ない気がする。

               

 新聞によれば、OECD(経済協力開発機構)加盟35か国の中で、認知症患者の比率は日本が2.33%で1位なのだとか。それが20年後には3.8%にまで上昇することが予測されるらしい。理由は我が国の高齢化が他の国よりもかなり急速に進んでいることにある。85歳以上の高齢者の半数が、要支援、要介護認定を受けているとも聞く。超高齢化社会の到来に伴う経費負担が気になる。

  

 がんや呆けは昔からあった。だがさほど目立たなかったのは、その前に寿命で死んでしまったためだ。貧しかった昔は「棄老」などもあったそうだ。いわゆる「姥捨て」だ。年寄りたちに溢れた今では、入るべきホームも難関。こうなるとどこまで元気な状態で自分を維持出来るかが問題。目下独り暮らしの私にとって、それは現実的かつ深刻な課題だ。

               

 頭の傷跡が癒えて来た。9月に受けた慢性硬膜下血腫の手術。抜糸後も傷跡がジュクジュクしていたため、自分の判断で血栓予防薬の服用を止めた。血が止まり難かったからだ。最近ようやく瘡蓋(かさぶた)が出来て来た。先日掛かり付けの循環器内科でドクターにそのことを告げると、それが正解だったようだ。その際に整形外科を紹介してもらった。

  

 4月に転倒して整骨院に通ったが、未だに激痛があったのだ。整形外科ではレントゲン写真を撮り、肩関節に注射をし、痛み止めと炎症を抑える薬を飲み、湿布薬を張り、2度リハビリを受けた。診断の結果は「肩関節周囲炎」。あれほど痛みがあったのに骨折ではなかったのが意外。靱帯の損傷はMRIじゃないと分からない由。まだ痛みが残るものの、生活上の支障はかなり減った。

               

 「ピンポーン♬」。誰かが来た。話を聞くと生協の人で、カタログを見て電話してくれれば商品を配達してくれる由。折角だが断った。そんなサービスを受けるのは、いよいよ体が動かなくなってからで十分。「今は買い物が良い運動の機会になり、かつ社会との接点なんですよ」。私はそう答えた。ヒルティじゃないが、ありのままの姿で生きるのも、そんなに悪いことじゃないしね。ちょき大笑い





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Last updated  2017.11.13 06:45:03
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