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マックス爺のエッセイ風日記

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2018.09.24
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カテゴリ:生活雑記
~秋晴れの日に~

  

 自家製のカボチャを煮た。今年の収穫は小さいのが5個。裏の空き地は地味が痩せているのに加えて、この夏の日照りで実が大きくなれなかったのだろう。これは3年目の種を蒔いたもの。一昨年は大きいのが獲れ、昨年もまあまあだった。3年目ともなると、もうこんなものか。少し若かったため、味はさほどでもないがまあまあ美味しい。残りは中玉2個。こちらはもっと肉厚のはず。

              

 昨日は朝から晴れるとの予報で、前日から洗濯をしていた。朝一番でベランダに干す。その間に自転車のバッテリーを充電。10kmほど先の父母の墓参りに行こうとしていた。急な山道の下りに細心の注意。最初の職場付近から、いつもとは違った道を行った。卒業した高校があった地区。その裏道の花屋で花を買うと、線香をおまけしてくれた。きっと花屋同士の競争が激しいのだろう。

  
 
 既に花が供えられていた。兄夫婦が来たようだ。私はどうやら2番目みたいで、姪たちはまだのよう。線香に火を点け、お菓子とお茶をお供え。この墓も、いずれは「墓仕舞い」することになる。ここに入る気でいた私だが、もしもダメとなれば散骨でも構わない。結婚しないまま東京暮らしの長男と次男。その方が彼らに面倒を掛けずに済む。土地と家の処分方法もそろそろ目途をつけないとね。

             

 帰路も裏道を通った。この辺は伊達政宗が仙台城下を縄張りする際、お寺を集中させた地区。「北山」と称して、20から30ほど寺があるはず。卒業した高校の前を通り、子平町のお寺へと向かう。私達がまだ高校生だった頃、ここは「半子町」と言った。そして「土橋通り」の突き当りに、このお寺がある。町名を変更したのは、この寺に眠る一人の偉人のせいなのだ。

  

 山門の扁額である。緑色の文字とは珍しい。あまりにも達筆で読み辛いが、右から「龍雲院」とあるようだ。受付で「林子平のお墓にお参りしたいのですが」と言うと、親切にその場所を教えてくれた。何と本堂の直ぐ左側の目立つ場所にあった。

    

 「前哲 林子平墓域」の石標が中央にあり、その右手の覆堂の中に墓石がある。石標の左手に立つ大きな石碑は顕彰碑か。その左側に互角堂があるが、この写真では見えない。また覆堂の右側にももう一つ高い顕彰碑がある。

         

 林子平(元文3年~寛政5年:1738~1793年)は江戸時代後期の経世論家で仙台藩士。海防(海岸部の警備)を説く『海国兵談』が幕府の禁に触れて兄宅に蟄居。悲憤のままに死んだ英才。時代を見る目が他人よりかなり早かったのだ。境内では他にも珍しい人物像に出会ったのだが、それはまた明日紹介することにしたい。

  

 帰路、コンビニで野菜を購入。帰宅後、自転車で買い物へ。1匹69円のサンマを3匹、野菜、肉、乳製品などを購入。食品を仕分けした後、遅い昼食。その後洗濯物を取り込み、撮影した写真の整理と翌日のブログを予約機能で記入。夕食はサンマの塩焼きがメインの予定。勿論今年の初物だ。さて、大根おろしを添えてみようかな。





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Last updated  2018.09.24 00:00:16
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