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マックス爺のエッセイ風日記

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2019.02.25
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カテゴリ:旅、温泉
~雪景色その2~

  

 背後の湖は田沢湖。2日目の夕食をこの湖畔で摂った。ここは若き日の思い出の地。高校の同級生と共に初めて旅したのが秋田県。訪れたのは男鹿半島と田沢湖だった。

  

 時は昭和39年の秋。当時の田沢湖に観光地らしい様相はほとんどなかった。宿はおんぼろで、出された料理と言えば、すべてが食用菊を調理したもの。あれには参った。強風の寒風山も殺風景で、それ以降荒涼とした風景が秋田に対するイメージとなった。

             

 田沢湖は一級河川雄物川水系に属する淡水湖で、直径6kmの円形をしている。夕暮れの湖は静かで、波もほとんどなかった。

  

 最大深度は423.4m。日本一深い湖だ。湖水の標高は249m。一番深い部分は海水面よりも低いことになり、冬でも湖水が凍結することはない。因みに世界一深い湖はロシアのバイカル湖。その湖畔の民族と日本人のDNAはかなり近いと言う研究がある。

          

 かつて田沢湖には固有種のクニマスが生息し、かなりの漁獲量があった。ところが昭和15年(1940年)、国の方針で近くを流れる玉川の水を湖に取り込むことになった。農業と発電のための用水としてだ。だがPH1.1と言う強酸性の源泉を持つ玉川の水を注入したことで、クニマズは全滅し幻の魚となった。

                       

 国内では絶滅したと思われた幻の魚クニマスが、平成22年(2010年)山梨県の西湖で発見された。田沢湖から密かに移されて、細々と養殖を続けていた由。この大発見にはさかなクンが一役買っていたそうだ。そしてクニマスだと確認された際、「ギョギョ~っ!!」と言ったとか。ウィンク

     

 湖畔に彫像が立っている。桶で水を汲む男の像だ。タイトルは「飲水思原像」とあった。「水を飲もうとする者は先ずその源に思いをいたすべきである」との意味。平成13年(1991年)に田沢湖と台湾の澄清湖との間で「姉妹湖」の調印が結ばれた際、台湾から寄贈された由。

           

 その対岸に立つのが「たつこ姫」像。作者は彫刻家の舟越保武で昭和43年(1968年)に除幕された。辰子姫は田沢湖の主で、その実態は龍。この辰子を巡って、十和田湖の主と八郎潟の主が争ったそうだ。だが八郎潟はその後干拓されて姿を消した。困った八郎は田沢湖に移り、今では辰子姫と仲良く暮らしている由。背後の雪山は秋田駒ケ岳だろうか。<写真はネットから借用>

 

 今回の旅では岩手山の雄姿を望むことが出来た。旅の2日目に盛岡の酒蔵見学が組み込まれていたのだ。標高2037mのこの山は岩手県のシンボルで「日本百名山」の一つ。2つのカルデラから成る火山は、盛岡側から見て「表富士」、八幡平側から見て「裏富士」と呼ばれる。別名「南部片富士」。表裏が異なる山容からそう呼ばれるのだろう。十和田八幡平国立公園の一部。

 

 岩手山に関する思い出が2つ。1つ目は岩手のブログ友ニッパさんのこと。山麓の滝沢市にお住まいだった彼は、良くブログに岩手山の写真を載せていた。だが闘病も空しく、帰らぬ人となった。享年は確か74歳。私は間もなく彼の歳を超える。彼には車で盛岡市内を案内していただいた。

 2つ目は「いわて銀河ウルトラマラソン」。北上市をスタートして険しい山中を北へ向かう100km。ゴールの雫石町が近づくと、この雄大な山が突然目の前に現れて大感激。もう会えないニッパさんと二度とは走れないウルトラマラソン。どちらも私の大切な思い出だ。<続く>





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Last updated  2019.02.25 00:00:25
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