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マックス爺のエッセイ風日記

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2019.03.07
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カテゴリ:旅、温泉
~なまはげ太鼓集団・恩荷(おんが)~

               

 今日ご紹介するのは男鹿市(男鹿半島赤丸がついた箇所)のなまはげ太鼓集団「恩荷」(おんが)です。実は旅の初日の一番目に向かったのがここでした。男鹿半島の北(上)側の海岸にほど近い場所。確か「男鹿温泉郷」の一角の小さなホールに案内されたのですよ。へえ~っ。太鼓の演奏ねえ。一体どんなものなのだろう。私は極力前の席に陣取りました。出来るだけ良い写真を撮りたかったものですからね。

    

 私たちにこのなまはげ太鼓集団「恩荷」のことを説明してくれたのが、この女性。メンバーで唯一鬼の面をつけずに演奏していました。どうやらなまはげ太鼓の演奏グループは幾つかあるようで、その夜の「なまはげ柴灯(せど)まつり」でも太鼓の演奏があるようです。きっと日ごろから厳しい練習をしれいるのでしょうね。それは激しい演奏を見れば分かります。では、張り切ってどうぞ。ダブルハートバイバイ

  
              

 客席の後ろから3人のなまはげが登場します。本物のなまはげは、藁(わら)の装束を身に着けているそうですが、それだと演奏が出来ないため、軽い毛糸の装束にしているとか。それにしても迫力がありますねえ。

        
                

 いよいよなまはげ太鼓の演奏が始まります。力強いばちさばきとパフォーマンスに圧倒されます。

  

 女性の方も負けてはいませんよ。堂々たる演奏。たくましいエネルギー。まさに女丈夫です。

  

 実は秋田の男鹿半島だけでなく、かつて佐渡島にも「鬼太鼓(おんでこ)座」と言う集団がありました。ランニングなどを交えた訓練を重ね、演奏の場を世界へと広げて行ったのです。その後確か「鼓童」(こどう)と名前を変えたようですが。

  

 それにしても「恩荷」(おんが)とは何なのでしょう。実はこの辺りを根拠地にしていた古代の蝦夷(えみし)の名前が恩荷だったのです。地元民は「おが」と言った積りが都の人には「おんが」と訛って聞こえ、それに充てた漢字が恩荷だったと私は推察しているのですがね。ちょきウィンク 

  

 「それにしても、よくそんな名前を付けたものだ」。私は感心しました。何せここ秋田は古代阿倍比羅夫が蝦夷を征伐した地。その征伐された蝦夷の名である「恩荷」を集団の名前にしたのですから、東北人の意地を感じた次第。

  

 そしてもう一つの思い出。それは数年前、仙台近郊の「国立みちのく杜の湖畔公園」の催しの際に、確かなまはげ太鼓の演奏を見たことがあるのです。無理やり前へ行って写真を撮っていたら、係の人に注意されて建物から出されたことがありました。まあ十分撮った後でしたがね。オーケー大笑い

  
          

          そんなわけで、懐かしい気分になった私でした。

  

  

 この後、彼らは仮面と衣装を脱いでアンコールに応えます。それが3人ともすらりとした体格の青年ばかり。きっと激しい稽古で、無駄な体脂肪が一切ないのでしょうねえ。それは見事な肉体でした。

  

 さらに驚くことには、この激しいパフォーマンスを、その夜に行われる「なまはげ柴灯まつり」で披露することです。その圧倒的な体力に万雷の拍手。こうして今回の秋田の旅は、強い感動から始まったのでした。<不定期に続く>





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Last updated  2019.03.07 06:12:35
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