テーマ:★人生論★(325)
カテゴリ:人生論
<ネットの世界で>
あれは15年以上も前の話。私はネット上で脅迫を受けていた。何度も届く差出人の無いメール。ある日勇気を奮って発信人を探した。ようやくたどり着いたのがメールの差出人名を隠すブラックボックス。だがある書き込みで、3人の掲示板仲間が犯人と判明。主犯は女性2人。私のHPのアクセス数が多いことに嫉妬し、男の仲間がそれを援助した犯行だった。直ぐに彼らと絶交し、かつての仲間は分解した。 ブログを読んである方に注意したことがあった。自分よりも7歳若いご主人が亡くなり、新たにマンション2戸を買ったとブログにあった。きっと莫大な死亡保険金が下りたのだろう。嬉々とした書きぶりに危うさを感じての忠告だ。誰が見てるか分からないネットに、そんな個人情報を載せてはいけない。それをその方がどこまで自覚していたのかどうか。さらに危ういことが、その後も記されていた。 今度は引っ越し情報。それまでの住まいと新しい転居先の位置関係、近所の神社名などが書かれていた。マンションが建つのは古城跡らしい。歴史が好きな者が調べればその古城がどこかなど直ぐに分かる。なぜそれほどまでに油断するのだろう。だがもう忠告はしなかった。もしそうすれば今度は私が疑われかねない。第一私はストーカー行為が好きではない。 私のブログに「残り物に福あり」とコメントした方がいた。私は「何のこと?」と返事。当時私は結婚し、配偶者にブログのことも教えていた。長い家庭内別居の後離婚調停へと進んだが、疑いを持たれる行為は慎まなければならない。その方の資産や家柄も何となく分かったが、それらに私は全く関心がなかった。お金や家柄よりもっと大切なもの。それは互いに誠実で、信頼関係にあることだと思うのだ。 「詩を指導してください」。そう書かれた女性には、「ブログにカテゴリーと口コミテーマを付すこと」を進言した。そうすれば仲間が見つかりやすいだろう。私にとって「詩の指導」は「人生の指導」そのもの。お母様を亡くされ傷心の日々を過ごされていたようだが、生半可な気持ちで「指導」など出来るわけがない。妻とさえ気持ちが通じない当時の私にとっては、重た過ぎる依頼だったのだ。 調停離婚後、私は独り暮らしになった。だが異性とお付き合いしたいと願っても連戦連敗。資産、健康状態、年齢など。どれも大変なマイナス要因なのだろう。ブログに綴る「節約法」を読んで、「私には無理」と書いて去ったブログ友もおられた。やんぬるかな。だが私はまだ希望を捨てていない。この身に奇跡が生じないとは限らない。お~い、どこにいるんだ。わが運命の人は。<不規則に続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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