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カテゴリ:俳句
~苦戦する俳句初心者~
令和元年6月20日。第3木曜日は区の老人施設が主催する「俳句教室」の定例日。この日も勇んで会場へ行くと、受付に見知らぬ婦人が座っていた。「ああこれは先生の奥様だな」。その直感は当たった。それに先生が既に到着し、講師席に着座していた。今日は都合により2人で来られた由。そして奥様もかつてこの「俳句教室」で講師をされていたのだとか。私は優しそうな奥様の講師の方が良いけどね。 受講生の出足が鈍いと感じたのか、いきなり「俳句論」をぶち上げた講師。それは私たちが早く俳句の本質を知り、技術が向上して欲しいとの願いからであるのは間違いない。理解が乏しい頭で、その言葉をノートに記して行く。どれも講師がいつも口にしている事項ばかりなのだが、いざ改まって聞くと、どれも大切なことだとも思える。なぜならそれはこれまで俳句に関わって来た彼の結論でもあるからだ。 1)固有名詞の使用は避ける。 *素人はついそれに頼りがちなのかも知れない。固有名詞を出さなくても良い俳句を作るべし。 2)形容詞、副詞は用いない。 *素人はつい「大きい」「白い」「こんもり」「ゆったり」などの語を使いたくなりがちだ。 3)季語を「説明」しない。 *素人は季語を修飾してしまいがちで、俳句の「切れ」を悪くしがちと言うのだが。私もこの指摘の傾向にある。 4)カタカナは用いない。 *これは同人によって考え方が異なる。ただし季語となった名詞などを除く。 5)「ポーズ」は不要。 *どういう意味かまだ理解出来ないが、無駄な修飾や形容は不要で本質に迫れと言う意味か。 6)勝手な「ルビ」を振らないこと。 *歌謡曲の歌詞に見られる「造語」は、俳句として成立しないと考えること。 7)「て」、「で」は散文的にになるため使用しない。 *俳句はあくまで「韻文の文学」。散文的な句を許す派もあるが、講師はこの考えは取らない。 8)「中七」は「上五」や「下五」の句をつなぐ役割を持つ。 *それぞれが全くバラバラになっては句が成立しなくなる。 9)「字余り」は上五は〇、中七は▲、下五は✖と心得よ。 *字余りを用いることが出来る場所にはほぼ約束事がある。 10)俳句に関する知識を重ねるより、実作を重んじること。 *俳句は単なる知識の集大成ではない。数を作ることで俳句の本質により近づく大切さを学ぶ。 11)子ら(こら)のような言葉は美しくないと考え、俳句には用いないようにする。 *その感覚が私にはまだ理解出来ない。17音(17文字ではない)の限られた中で、どんな言葉を使って自分の意思を表現するのか。しかも俳句は韻文の世界にある。 数日後、私はネットで「切れ字」を検索した。講師が「切れ字18」と話していたからだ。俳句の中で「季語」と同じくらい重要なのが切れ字。この俳句の「切れ」と言う感覚が未だに良く理解出来ない。俳句の出来を左右する「切れ」とは一体何なのだろう。17音の「世界一短い文学」を左右する「切れ」が分かれば、少しは俳句の上達につながるのかも。以下は18の「切れ字」。 1)「や」 ・・や 10)「か」 助詞 2)「り」 追えり 11)「よ」 3)「かな」 12)「ぞ」 強調 4)「けり」 詠嘆および言い切った形 13)「つ」 5)「す」 14)「せ」 6)「もがな」 ・・もまた 15)「ず」 ・・しない 7)「し」 形容詞終止形の語尾 16)「れ」 8)「じ」 ・・しない 17)「へ」 動詞命令形語尾 9)「らん」 助動詞終止形 18)「け」 このほかに「なり」も切れ字の一つとネットにはあった。何と難しいのだろう。再掲しては見たものの、まるでチンプンカンプン。きっとその「語だけ」を考えるのではなく、多くの句を読むうちに自然と理解出来る性質なのろう。韻文の「感じ」は分かっても、日本語の古語や文法を知らず、「古語の文法」ともなればなおさらだ。 この日の話で、俳句教室への提出句は毎回各自1句までとなった。受講生が減って時間が出来たと考え、最近私は2句提出していたのだ。今回その1句を捨て「山鳩やトマトの脇芽摘みし朝」を読んだ。後ろから2番目。最近は大体こんな席次。講師の講評は特になく、先月欠席のKさんが「シンプルな句の方が却って詠むのは難しい」と評してくれた。その通りで、無駄な装飾もポーズもない句なのだ。 <付記> 連載中の「博物館シリーズ」に、「俳句論」を挿入しました。内容があまりにも専門的過ぎて、面白くなかったでしょうけど。まあ、たまに異質な世界も覗いてみてくださいませ。 台湾ツアーは第5日の最終日。この日は台北桃園空港から仙台空港へ直行便で帰国予定です。ただし写真の整理に時間がかかるため、博物館の話をもう少し予約してあります。最後までお付き合いいただけたら幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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