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マックス爺のエッセイ風日記

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2019.07.20
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テーマ:世界への旅(365)
カテゴリ:旅、温泉
<台湾の歴史と民族構成~アミ族の踊りを見て~>

     車窓から  

 車内でオプションの説明があった。アミ族の舞踊ショーだ。1人2500円。私は直ぐに挙手したが、最低2名以上とのこと。他にも希望者がいて、8名だけ途中下車してアミ族の集落に入った。「島の人だっけ」と私。「それはヤミ族」と陳さん。貧弱な売店を横目にショーの会場へ。扉を開けるとまるでサーカスのテントのような感じの会場。アミ族民芸品が並ぶ壇上で記念撮影。

    ショー

 やがて舞踏ショーが始まった。司会者の娘さんのたどたどしい日本語が可愛い。演目は7つほどあった。女性の優雅な踊り。青年の勇猛な踊り。農作業をテーマにした踊りや、求婚と結婚を模したものなど。南方系のバンブーダンスもあり、最後は観客と一緒になっての踊りも。煌びやか過ぎる衣装は本来の姿とは異なるはず。照明も人工的過ぎたのが残念。アミ族のショーなどは別途特集します。

    かつてのアミ族

 アミ族は台湾の東海岸に住む少数民族で、農業を中心にして来た由。台湾には16の部族がおり、このうちアミ、タオ、クバラン、サオ、サキザヤの5部族が平野部や山麓を根拠地とし、残りが山岳民族で、首狩り族は3部族。さらにフィリピン海の島嶼にヤミ族などが存在する。異なる部族同士での結婚は少なく、ほとんどが漢族との混血と陳さん。台湾は約55万人の原住民を有する多民族国家だ。

         

 陳さんのお爺さんは福建省から台湾へ来た由。条件は独身で現地で妻を得ること。清朝の頃で、弁髪(べんぱつ=一本おさげ)を結っていたそうだ。戦前に福建省及び広東省から来た漢人が「本省人」で、戦後大陸から来た漢人が「外省人」。明朝末から清朝初めに来たホーロー人が総人口の73%を占める。客家(はっか)と呼ばれる浮浪漢人もおり、宗教や文化の混沌の要因。イスラム教徒も少数いる由。

   

 併せて台湾の歴史を紐解こう。元朝(907~1367年)は台湾海峡の島々を福建省の支配下に置いたが、台湾本島は一時的な寄港地扱いとした。この隙をついて倭寇は台湾に侵攻基地を設けた。  
 1624年から1662年まではオランダの東インド会社が島の一部を支配下に置いた。これを追放したのが清に破れた明の皇族。日本に援軍を求めたが叶わず、1683年まで台湾を支配した。

龍は権力のシンボル  

 1683年から1895年までは清朝の支配下となり、福建省所属となった。だが蛮族が多いこの島を「化外の民」(けがいのたみ)として蔑視。福建省や広東省からの移民が増えたのはこの時期だ。
 1895年から1945年までは日清戦争に勝利した日本に帰属。台湾総督府は工業の中心を日本が、農業は台湾主体として推進し、教育、産業、土木などのインフラ整備を進めた。<続く>





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Last updated  2019.07.20 00:00:16
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