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マックス爺のエッセイ風日記

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2019.07.28
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テーマ:世界への旅(365)
カテゴリ:旅、温泉
~「宮原眼科」の謎~

  

 街の芸術家集団「彩虹眷村」の次に向かったのが「宮原眼科」。ツーリストの案内にも、はっきりそう書いてあるから間違いはなさそうだ。ここも台中市内で、場所は繁華街のど真ん中だった。

  

 「宮原」は日本の姓だし、「眼科」は他に解釈のしようがない。日本の眼科がなぜ観光の目玉になるのか。それが偽らざる気持ちだった。ところが建物の最上部、つまり屋根の上を見上げるとなにやら看板が。

  

 ほれほれ、やっぱり「宮原眼科」とある。ここは日本統治時代に、眼科が開かれていた場所なのだ。

  

 ここが建物の側面で、ここにも広い入口がある。まさか今でも眼科ではないよねえ。びっくり?

         

 その疑問を払しょくするように、クラシカルな感じの案内がぶら下がっていた。なんとまあ、戦前の建物の名をそのまま生かしたショッピングモールのようだ。これはたまげた。ビックリ仰天。こんなことが本当にあるものだろうか。

  

 中に入ると意外や意外。お洒落と言うか、ゴージャスな雰囲気と言うか。

  

 いなせな感じの店員さん。おお、男前のお兄さんだねえ。一体何を売ってるんだろう。

  

 いかにもセンスの良いデザインですねえ。思わず驚きながら店内を巡るツアー客たち。

     
            

 いや~っ、参った参った。ビルの名前と中のテナントが全く違いますなあ。台湾人の大らかさには正直驚かされました。それともこれを称してたくましい商魂と言うべきなのか。

      
            

 同じ日本の統治下にあった韓国では、忌まわしい「負の遺産」として、その時代の建物を取り壊しているんですよ。旧朝鮮総督府も先年跡形もなく破壊されました。ところが台湾では、その時代を懐かしむかのように、70数年以上も前の名前を残しているのです。全く同じ体験をした国がこれだけ明白に異なる対応をすることに、いや台湾人の恩を忘れない性情に、私は改めて感激したのでした。

            

 私たち東北の人間は、あの東日本大震災の後、世界中で一番最初に援助の手を差し伸べてくれたのが台湾人だったことを、今でもはっきりと覚えています。それも地方の女子中学生が何か援助したいと、募金活動をしてくれたのでしたよね。初めて台湾に来た私が全く何の違和感も感じなったのは、きっと沖縄に勤務した経験だけではないはず。こんな偶然の遭遇が、その想いをますます強くさせるのです。<続く>





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Last updated  2019.07.28 00:00:17
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