テーマ:世界への旅(365)
カテゴリ:旅、温泉
~太魯閣(たろこ)渓谷を訪ねて~
台湾一周ツアー第4日目は朝から忙しい。花蓮市のホテルでの朝食後、最初に向かったのは太魯閣(たろこ)渓谷。ここには結構凄い崖道があるのだとか。だがそれはかつての話で、今は台湾の脊梁山脈を貫く新しい国道が出来ているとも聞いた。さて、今日は私たちの目の前に、果たしてどんな風景が飛び出して来るのだろう。バスは山道をドンドン進み、やがてトンネルの前方に明るい外の景色が見えた。 脊梁(せきりょう)と言うのは背骨のことで、正式な名は台湾山脈。島を南北に貫き、東西の通行を妨げて来た。また台湾には富士山よりも高い玉山(標高3997m)がある。洋上から見ると、より一層高く見えるようで、昔沖縄の海人がそれを見て思わず「高さん」(たかさん=高い!)と言ったそうな。それが内地の人には「高砂」と聞こえ、確か「高砂族」と言う名になったと聞いた覚えがあるのだが。 これが太魯閣渓谷を流れる川の色。砂は大理石の破片なので白く、流れは薄い水色に見える。 太魯閣渓谷の入口にある門の形は、沖縄県那覇市にある首里城「守礼門」の形式とそっくりだ。 何やら字が書いてあるのでアップしたら「東西横貫公路」とある。「公路」は日本の国道なのだろう。さだめし台湾の東西を真っ二つに貫く新国道と言った感じだろうか。 新しい橋の上で私は陳さんを撮り、陳さんは私を撮ってくれた。陳さんが私に「日本に「魯」の字はないでしょう」と言うので、「日魯漁業」と言うのがあるよ。と言うと不思議そうな顔。日本留学中に聞いたことのない名前だったのだろう。それもかなり前の缶詰会社だから、今は多分もうないのかも知れない。 欄干の獅子。台湾に「狛犬」はおらず、すべてが獅子。全部で16見た。獅子十六なんちゃって。 橋の上から崖の中腹に道路が見えた。あれはタロコ族が造った道と陳さん。ええっと驚く。まるで「蜀の桟道」ではないか。ぜひ近くで見てみたいもの。幸い見学する時間は確保してあるそうだ。ようし、これは絶対観に行かねば。 これが橋の上から崖道へ下りる入口。どうやら崖道は「shakadang」(しゃかだん)と発音するみたい。タロコ族は一部族の名前だが、それに中国から渡来した人が「太魯閣」と漢字を充てたのだろう。前日のアミ族に「阿美」と漢字を充てたように、元々の原住民に文字はなく、自ら名乗った部族の音に近い漢字を充てて表記したのだと思う。すると「shakadang」の原義は何なのだろう。 真下から見上げる橋脚の一部。 崖道から橋を臨むの図。 実際に観た崖道はこんな感じ。一見してこれはおかしいと私は思った。山岳民族(ひょっとして首狩り族だったかも)が、一体全体乏しい道具と材料でこんな立派な道路を作るだろうか。彼らが住んだ山から海岸部まではかなりの距離があったはず。非力で人数がさほど多くない部族が、たとえ何年かかってもこんな精緻な道路が造れるわけがない。これは近代的な技術の賜物のはずと言うのが私の直感だった。 ビルの5階分ほどの階段を上って再び橋の上に出、そこから慰霊塔のある場所まで歩いて行った。どうやら道路工事の際に犠牲になった方々の霊を慰める施設のようだ。その近くに何枚かの写真があった。 なんだなんだこれは一体。ははあ。これが元々のタロコ族の木道だったのだと思う。この程度の道路なら蛮族にも造れたはず。しかしこんな危険な「道」を良く通っていたもんだねえ。 こんな写真もあった。これは道路工事に先立って、邪魔になる木を伐り、落石の原因になるものを除外したりしてたのではないか。これは一体いつ頃の写真なのだろう。戦前であれば工事の人が日本人である可能性もあるが、被っている笠は、沖縄のクバ笠(ソテツの葉を編んだもの)に近いが。 こちらも工事関係者の写真。私には先刻の崖道「shakadang」を造ったのはどうもこの人たちのように思えて仕方がないのだ。すると陳さんが「タロコ族が造った」と言ったのは、彼の誤解だったのか、あるいは日本人にも犠牲者が出たことを私たちに隠したかったのか。 対岸の遥か遠くに高い滝が見え、その上に宗教施設のようなものが見えた。あれが本来の道路工事で亡くなった方々の慰霊塔なのだとか。あそこに日本人も祀られているのかは、不明のままだった。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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