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マックス爺のエッセイ風日記

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2019.12.10
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カテゴリ:旅、温泉
学校サヨナラ砂の美術館バイバイ

  
       

 さてこれまで4回に亘って紹介して来た鳥取砂丘の「砂の美術館」も今日が最終回。最後のひと踏ん張りと言ったところだ。今日の冒頭を飾るのは「コナーラクの車輪」。インド東部のコナーラクにあるスーリア寺院は、13世紀ごろに建てられたヒンドゥー教の寺院。インド神話の太陽の神であるスーリアは7頭立ての馬が引く戦車に乗って天空を駆けると信じられている。寺院そのものを戦車と見なしている由。

 作者はインド人のスダサン・バタナイク。彼は10歳ごろから砂像彫刻を始めて25回以上の入賞歴があり、現在はインドのサリー市で砂像芸術学校を開設している。

  
        

 タイトルは「仏陀の出現と悟り」。紀元前5世紀。ネパールの釈迦族の王子として誕生したゴウダマ・シッタルダは、ある時生老病死について自問するようになり、その答えを得るため出家する。長年の苦行を止め、菩提樹の下で瞑想していた時ついに悟りを開いたのです。作者トーマス・クォートはアメリカ人でオランダのデルフト工科大学卒業。

        

 悟りを開いた仏陀の顔の何と清々しいことか。それをアメリカ人美術家が創作したことに驚く。

  

 仏陀は現在のインド北部を中心にして広く仏法を広め、雨期には1か所に留まって説法した。その拠点が祇園精舎だった。45年間仏法を説いた仏陀は80歳の時にインド北部クシナガラの沙羅双樹の下に横たわり、最期の時を迎えた。後の時代に描かれた涅槃図には、大勢の弟子と共に仏陀の死を嘆き悲しむ動物たちも描かれている。

     
  
     

  
      

 アフガニスタンにあるバーミアンの大仏で世界遺産だった。1世紀ごろから石窟仏教寺院が造られ始め、5、6世紀ごろには高さ55mと38mの大仏を含む巨大仏像が彫られ、栄華を極めた。「西遊記」のモデルとされた玄奘三蔵もこの地を訪れたと伝えられている。2001年。過激派のタリバンによって爆破され、元の姿が見られなくなった。中国人のヤン・リドン制作で、彼は山東芸術学院の卒業。

  
  
            

 西の大仏(上)の方が東の大仏(下)よりも大きく、設置場所が少し離れているため作品のように2体が一緒に見えることはない。

      

 さて、アフガニスタンにおいて医療や井戸掘りなど、復興支援と住民の生活向上に深く関わって来た日本人医師の中村哲氏(73歳)が、現地で過激派に発砲され死亡しました。氏の長年にわたる献身的な活動とその死を悼み、心から哀悼の意を表します。

 

 この砂像の紹介を忘れていました。他の写真に紛れていたためです。これは確か「ムガル帝国の行進」の一部だと思います。失礼なまま「砂の美術館」の紹介をこれで終わります。<続く>

         マリア・テレサ像前の自分  

 しかし世の中には大変な芸術があるものですねえ。「砂の美術館」見直しました。凄いです。ダブルハートびっくり





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Last updated  2019.12.10 00:00:19
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