2939113 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019.12.26
XML
~さきたま古墳群と博物館その1~

 

 「埼玉県立さきたま史跡の博物館」です。埼玉県行田市にあります。11月27日(水)富山県の宇奈月温泉からの帰り道、寄ったのがここでした。熊谷駅で長野新幹線を降り、そこからJR高崎線で行田駅へ。駅前からのバスは平日のため少なく、数台しかないタクシーもなかなか来なくて困りました。駅から博物館までの料金は1980円でした。車さいふ

                  

博物館前に「埼玉県名発祥之地」の堂々たる石碑が建っていました。「さきたま古墳群」の名前が「埼玉県」となったのですね。ここに5世紀後半から7世紀初めまでに造られた9基の大型古墳が集中しています。昭和13年に国の史跡に指定されて以降、史跡公園として整備が図られて来ました。

  

 ほとんどが大型の前方後円墳ですが、左上方の丸墓山古墳だけが円墳です。この地は利根川と荒川に挟まれた湿地帯で、その湿地を埋めるため、かなり古くから古墳の土を掘り出していたようです。そのためかなりの数の小型の円墳が姿を消してしまったようです。残念なことをしましたね。

        

 現時点での航空図です。「さきたま古墳公園」として行田市民、埼玉県民から広くし親しまれています。私も今回が2度目の来園でした。アクセスが不便なのが残念。付近には「古代ハス園」もあり、花の時期は特に賑わいます。この古墳が有名なのは、稲荷山古墳(前方後円墳)から出土した鉄剣から、金で象嵌された115文字の金石文が発見されたことです。そこに歴史的な人物の名があり、朝廷と地方豪族の協力関係が解明されたのです。まさに歴史的な快挙。副葬品は一括して国宝に指定されています。


  

  入場料は成人が1人200円。ただみたいなものです。そして「将軍塚古墳」の地下にある、展示館にも入場することが出来ます。博物館展示館ともに撮影も可能なので、考古学ファンにはたまりませんね。ダブルハートうっしっし

  

 博物館前の道路です。この道を前方に直進すると県道を越えて公園内の各古墳へと向かいます。また逆方向に向かっても、幾つかの前方後円墳と出会えます。

       

        公園内の紅葉と落ち葉がきれいでした。

  

 二子山古墳。2つの山があるのでそう呼ばれます。前方後円墳のこの形を「茶臼」と言う表現もして、国内には「茶臼山古墳」などと呼ばれるケースもあります。

           

          二子山古墳横の湿地(元周濠跡)で餌を探していたアオサギ。

  

 丸墓山古墳は直径約200m。国内で最大級の円墳です。発掘調査されたことはありません。墓の上は戦国時代秀吉が北条攻めをした際、石田三成が陣を置いた場所です。忍(おし)城は北条側の出城。この抵抗に手こずった三成は堤を築き、利根川と荒川の水を入れて水攻めにしたのです。その実話が「のぼうの城」として映画化されています。

        
  

 丸墓山まで真っ直ぐに伸びるこの道路が三成が築いた「石田堤」の痕跡なのです。戦国時代の戦いの跡が道路として今も残っているなんて不思議な話ですね。このように当時関東の各地では、豊臣方と北条側の熾烈な戦いが続いていたのです。最後は「小田原攻め」で決着がつき、秀吉の天下統一につながりました。

  

  春の丸墓山古墳。ここは桜の名所で、塚に登って花見を楽しめます。

          

 冬の丸墓山古墳。雪で真っ白な古墳の姿とは珍しいですね。明日からは考古学の専門的な内容になりますが、我慢して最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。ではまた明日ね。ダブルハートバイバイ<続く>





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.12.26 07:22:44
コメント(14) | コメントを書く
[考古学・日本古代史] カテゴリの最新記事


PR


© Rakuten Group, Inc.
X