カテゴリ:考古学・日本古代史
<「埼玉古墳群」の位置関係>
「埼玉古墳群」の位置関係を示した地図です。利根川と荒川に挟まれた土地(湿地帯)だったことが分かります。大きな古墳は西側の上野国(現在の群馬県)にも多いのです。その理由を私なりに考えると、両方とも古代から中山道(東山道)によって大和朝廷と強い協力関係があったためと思われます。当時は東海道よりも中山道(東山道)の方が安全で主流な官道だったと。ただし奈良時代以降、武蔵国府が現在の東京都国分寺市周辺に置かれると、この地の豪族の力が衰えたと考えられます。 整備前の公園です。湿地を埋めるため、古墳の土が取られたりしていました。今では信じられない話ですが。 国指定の史跡として整備された後の航空写真です。土を取った跡も埋め戻され、きれいな古墳の形になっています。 <将軍山古墳と出土品など> 将軍山古墳(緑の濃い場所)の位置。古墳主軸の長さ=90m。後円部高さ=8m以上。 埴輪の配列想定図。 発掘調査前の将軍山古墳。土が埋め立て用に取られて、古墳の形が崩れています。 整備前の測量図。古墳の土が取られた様子が良く分かります。 整備後の将軍山古墳。古墳の右側に地下の展示館のコンクリート屋根が見えています。 地下の展示館の看板が立っています。ここの見学は博物館の入館料に含まれています。 出土品などから復元された被葬者の騎馬像です。「将軍」の名は、ここから来たのでしょうね。 石室内部模図。 出土品などから復元した被葬者(将軍)と彼が乗った騎馬。 石室にあった黄色い石(房州石)は現在の千葉県南部から運ばれたものと判明しました。 上の説明文です。 遺体の埋葬状況を精密に再現してありました。本日掲載分の写真が複雑で、記事を書くのがとても困難でした。かなり専門的な内容で、興味の無い読者には読むのもさぞかし苦痛だったことでしょう。最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。なお、本日紹介した出土品に国宝は含まれておりません。国宝が出土したのは、「稲荷山古墳」(後日紹介予定)です。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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