カテゴリ:考古学・日本古代史
<埼玉古墳群の埴輪たち>
埼玉古墳群の配置図です。上方の黒くアンダーラインが引かれたのが将軍塚古墳で、下方の黒くアンダーラインが引かれたのが瓦塚古墳です。今回はこの2つの古墳から発掘された埴輪を紹介することにします。 瓦塚古墳の説明文です。以下にこの古墳の埴輪を紹介します。 動物埴輪の説明文です。ご参照ください。 左は犬。古くから人間に飼われ、猟などにもお供しました。右は白鳥。古代には割と身近な動物だったのでしょう。日本武尊が三重で死んだ後、白鳥になって都へ帰ったとの白鳥伝説が有名です。 馬は朝鮮半島経由でわが国にもたらされたようで、古代は専ら軍馬として用いられました。豪族の死後、古墳の周囲に生前の馴染み深い動物や使用した物、墓を警備する武人の埴輪などが立てられました。 倒れた状態の埴輪。本来は古墳の側面に立てられていたのが、長い歳月の間に倒れたのです。 以下は将軍塚古墳の人物埴輪です。殉死した兵士の代わりに、土師氏の祖である野見宿祢が考案して土で兵士などの埴輪を作り、豪族などの墳墓に並べたのです。 盾持ち人物埴輪 朝顔型円筒埴輪と呼ばれるものです。これらが古墳に並んだ姿は壮観だったことでしょう。 異常の朝顔形円筒埴輪は、どうやら国宝の鉄剣が出土した稲荷山古墳のもののようです。 将軍塚古墳に配置された「琴を弾く人」の人物埴輪(左)とその復元図(右) 稲荷山古墳に配置された家形埴輪。当時の豪族が住んだ家屋の形が想定出来ますね。 当時の武人の様子も分かりますね。このように埴輪から当時の服装、飼っていた動物、住宅、船の構造などが推測出来ます。埴輪の数量と内容が最も充実した古墳は、大阪府高槻市にある「今城塚古墳」と思われます。同古墳は第22代継体天皇の被葬地とされ、付近には巨大な埴輪工場が数か所存在します。なお宮内庁の天皇陵は茨木市にありますが、築造年代が継体天皇の時代とは異なります。<来年に続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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