カテゴリ:考古学・日本古代史
<埼玉県行田市埼玉古墳群の古墳たち>
公園内風景。まだかつての湿地や田んぼの跡が残ってますねえ。右手奥が丸墓山古墳です。 大連旅行関係の写真の整理が全く手についておりません。整理までの間、休止していたこのシリーズを再開します。国宝の「稲荷山鉄剣」」などが後で出て来ますので、それを楽しみに辛抱強くお待ち願います。今日は園内の主な古墳の写真を掲載します。 丸墓山古墳(日本一巨大な円墳)。頂上に数本の桜の木が植えられていて、お花見の名所です。 丸墓山古墳の航空写真。きれいな円墳であることが一目瞭然ですね。 丸墓山古墳の測量図。等高線がきれいにそろっています。見事な円墳です。 在りし日の丸墓山古墳と田起こしをする農家の方。背後に見えるのが石田三成が利根川と荒川の堤防を破壊して川の水を入れ、忍城を水攻めにした際に築いた「石田堤」。三成の陣地は丸墓山の頂上にあり、水没することはなかった。映画「のぼうの城」は傑作で、戦いの様子がほぼ再現されていましたね。 左側の将軍山古墳に円筒型埴輪が立ってるのが見えます。右手奥が二子山古墳。 成形された将軍山古墳の後円部を取り巻くように立つ埴輪列。 将軍山古墳下部に突き出た「造り出し部分」にも埴輪が並んで立っている。 稲荷山古墳の全容。右手の後円部頂上の礫郭(れきかく)から「稲荷山鉄剣」などが出土しています。その出土品の全てが国宝に指定されています。それほど歴史的に貴重な品だったのです。詳細は後日紹介しますが、それが古代日本史を塗り替えるほどの大発見につながるのですから、物事とは分からないものですねえ 稲荷山古墳全景。右手後円部頂上に2つの墓があり、うち1つが盗掘され未盗掘の墓に鉄剣などが副葬されていました。それが後年、大変な騒動となる原因をつくることになるのです。 <埋葬想定図>まさかこの被葬者の名前まで分かるようになるとはねえ。だから「事実」は面白い。 秋の稲荷山古墳周辺にはコスモスの花が。 <続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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