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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.02.15
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カテゴリ:ランニング全般
<マックス爺大いに吠える>

    ランパン

 走友会など団体への所属が必ずしも良いことばかりとは限らない。在る年のあるレース後、10も若い後輩がいきなり「〇さん評判悪いですよ」と私に言った。なぜそんなタイミングでそんなことを口にしたのか。多分自分が完走出来なかったはらいせだと私は直感した。そして「裏で悪口を言ってるのはお前だろうが」とも。それは彼が別な時に「〇さんは走友会を利用してる」と言ったのでも分かった。

             ランシャツ     

 こいつはよっぽどの馬鹿。そして転勤族の苦労を知らないなとも。と言うのは言われた当人は中部地方から仙台に赴任した転勤族。そしてわが走友会にたどり着いて入会した次第。走友会など「利用してなんぼ」のもの。すべからく利用するためにあるのがそもそも走友会の役割。それを会の中心に据え熱心に会員を勧誘している走友会が存在するほど。利用するための走友会で一体何が悪いのか。

  

 そもそもその当人が一番便宜を得てるはず。彼は誰かと一緒じゃないと距離の長いレースを走れない人。私はそんなのが大嫌い。ウルトラは1人で走ってなんぼの世界。コースに迷うのも、地図を読み解くのも、食料や水分の調達、どんなペースで走り、無事にゴールするか。それを自分だけの判断で最後まで走り切るのがウルトラマラソン。それを他人の援助にすがってしか走れないなんてウルトラランナーとは呼ばない。

  ウインドブレーカー  

 こんなこともあった。その1年間、ずっと私に負けっ放しだった12歳も年下の男が、行事で写真を撮る際、私の前まで来るとくるりと引き返す。そんな訳で、私の写真はそれ以降走友会のHPには1枚も載らなくなった。何と言う度量の狭さ。ケツの穴の小さな奴ばかり揃ってるとはなあ。私の完走記は実に詳細。だが嘘は書かない、その文章で心理分析までされてよほど悔しかったのだろう。



 この日も4つ年下の男を叱った。4歳違えば少年時代の状況がまるきり異なる。都市と地方では食糧事情が異なるし、仙台には進駐軍が常駐し、朝鮮戦争と同時に、米軍の射撃演習が郊外で始まった。食えない家では娘が「パン助」になり、男は「闇屋」で食いつないだ。生きるか死ぬかの時代だった。ところが「ランニング馬鹿」は歴史も文化も学ばない。人は何時か老い、何時か死ぬ。いつまでもランナーで通すのは無理な相談なのだ。

          

 ある人が今年は北海道を自由に走る計画中教えてくれた。1520kmの「本州縦断フットレース」を完走した強者が、70を目前に果敢に自分の夢を目指す。エベレスト走った81歳の長老。昨年100kmを完走した80歳の長老。膝を傷めた84歳の長老。かつての勢いがなくなったことを憂い、もう会合に顔を出さないかつてのスピードランナー。老いは誰にも平等に訪れ、いつしか体力も弱るのが宿命か。

  

 「ムンバイマラソン」に行くと言ってたA山さん、Y野さんはどうだったのか。インドは1月でも30どを超えるだろうが、心臓の悪い2人が無理してなければ良いが。私も誘われたが「大連旅行」を優先した。「仙台鉄人会レース」を今年は形を変えて再出発させるとF氏。スタートが朝6時なら「10時間走」か。あのコースでそれは厳しいねえ。しかし新年会でT田氏と飲んだ酒は旨かった。

                      

 S氏とは昨年死んだ彼の兄の話をした。兄は高校の3年後輩。彼ら兄弟とは実に不思議な縁で結ばれていた。人生とは不思議だね。弟は私の愛犬の名前を出した。三神峯公園で花見をした時、私が連れて行ったのだ。その愛犬が私の腕に10時間抱かれて死んだことを教えた。家族で唯一私を裏切らなかった愛犬。ありがとうわが走友たち、これからもどうぞよろしくね。マラソンダッシュダブルハートバイバイ  文中敬称を略しました。  <完>





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Last updated  2020.02.15 05:01:00
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