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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.04.16
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カテゴリ:旅、温泉
<大連のロシア人街 その1>

  

 大連観光の目玉は何と言っても旧ロシア人街だろう。なぜ大連にロシア人街があるかと言えば、それはかつてロシア人が住んでいたためと言うしかない。なぜ住んでいたかと言うと、歴史の話が避けられない。乏しい知識しかない私が説明するのは難儀以外の何物でもないが、いずれはそのことに触れるとして、今回は旧ロシア人街の写真を何枚か載せることでお茶を濁しておく。ショック

     

     この建物は現在中国が使っているのか、漢字のスローガンが掲げられていた。だがその下にロシア語(キリル文字)が見えた。それで思わずシャッターを切った次第。ロシア人がいた当時のものか、それともロシア人観光客のためかは不明だった。

  

 バスの車窓からトンガリ帽子のある建物が遠望出来た。きっとあれもかつてロシア人が建てたビルなのではないか。私にはそう思えてシャッターを切ったのだが、帰国して写真を整理し、ズームしてみたらビルに漢字が見える。だが、真偽は不明のままだ。

       

 これもバスの車窓からの遠望。特徴ある三角屋根はロシア正教会の建物に間違いない。私はそう確信した。中国人がわざわざこのような建物を建てる訳がないからだ。しかし、ロシア人が去った後、この建物は一体何に使われているのだろう。ご丁寧に教会が3つも並んでいる理由が分からない。

  

 手前も、そして奥の建物もロシア正教の教会堂のはず。海の傍にある大連はさほど雪は降らないはず。だから屋根をこんな急角度にしなくても良いと思うのだが、ロシア人たちは中国に来ても、自国の建築様式を頑なに守ったようだ。

  

 ロシア人街にある住宅群。いずれも堂々たるアパートメント。ロシア人たちがいた時代、現地の満州族たちが住む一角は別の場所にあり、ここに近づくことは出来なかった。今では全て中国人が居住している。芝生のある閑静な住宅街だ。

            

 公園の一角に彫刻が立っていた。車窓からちらっと見たが、中国人の風貌ではなく、ロシア人のように見受けられた。かつてここにロシア人たちが住んでいたことを記念するものなのだろうか。

  

  バスの車窓から見えたロシア人が住んだ住居跡。コンクリート建ての近代的な建築物で、今でも十分居住に耐えられる。この一角は現在大連観光の目玉になっている。訪れるのは日本人観光客が一番多いようだが、中国各地からも訪れるみたいだ。中国もそれだけ豊かな国家になったのだろう。

              

 ロシア式の建物は全てがロシア人が建てた訳ではない。日清戦争、日露戦争で日本が勝利すると、ロシアが有していた満州の権益は代わって日本が得ることになる。大連のロシア人街の景観を守るため、日本人の建築家は当時はまだ珍しかった西洋建築の技法を学んで、引き続きロシア風の建物を整備して行ったのだ。もちろん住むのは日本人。だから大連には旧ロシア人街と旧日本人街が隣り合っているのだ。<続く>





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Last updated  2020.04.16 00:00:07
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