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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.04.27
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カテゴリ:歴史全般
<戦争と歴史観>

   

 今回の大連・旅順ツアーで中国人に対して不愉快な思いをしたことはほとんどなかったし、現地案内人の価(か)さんの対応も私たち日本人旅行客に対して至極友好的だと感じた。まあ日本のツーリストに雇われているのだから、私たちに不愉快な思いをさせることは万が一にもないだろうが、まあ終始公平で親切だったことに、正直驚いたほどだ。彼は漢族で大連の住人。彼の先祖がどこから来たかは聞かなかったが、日本語は独自で習得したそうだ。

     
         
 
 22名のツアー仲間は全て仙台空港から一緒に来た。老若男女様々で、中には中国を何度か訪れた人もいた。また中国の西安を快経由してウズベキスタンまで旅したと言う剛の者もいた。かつて仙台から西安迄の直行便があった時で、その先の航路は自分で調べたそうだ。そんな旅慣れた人が、入国審査で手間取ったのが意外だった。私は愛嬌を振りまき、簡単に大連空港の入国審査を終えたのだが。

  

 若い人の中に、日露戦争当時の日本軍(連合艦隊)がロシアの軍艦を旅順湾内に閉じ込めたことを知ってる人が驚いた。彼は何度か中国を旅し、今回も色々調べて来たのかも知れない。その彼が旧満鉄本社だった列品館で、満鉄が所蔵していた白檀の工芸品を30万円で購入したことに驚いた。もちろんカードでの支払いだったが、私は水師営会見所の資料館で1万円でトルコ石を買うのがせいぜいだった。それも旧満鉄の所蔵品。財政難の大連市の方針で、老朽化した旧日本関係施設の修繕費に充てるため、売却を始めた由。

  

  伯父さんが満州に居たと言う人が私に「反省しなくちゃいけないよ」と言った。私が南京大虐殺はインチキだと言った時だ。私も叔父から満蒙開拓団で働くため、茨城県の内原町にあった訓練所で訓練を受けたと聞いたことがあった。日本の近代史、現代史は学校でほとんど学んでいないが、幕末の歴史小説を読み始めてから関心を持つようになった。

                  

 しかし明治以降の日本は、本当に間違っていたのだろうか。日本が置かれている位置、そして当時の世界情勢と東アジアへ迫り来る列強侵略の足音。その脅威から逃れるためには大急ぎで近代化を図り、富国強兵で列強に立ち向かうしかなかったのではないか。それが日露戦争を描いた司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」になった。当時中国(清国)はロシアに満州を侵略され、末期の李氏朝鮮も危うかった。

  

 これは日本に併合される前の朝鮮。これが首都京城(現在のソウル)の姿。国民の2割は奴婢で、識字率は50%以下。産業は農業のみで、便所がないため大便を道路に捨てるなど衛生状態が悪く(大便を野犬が食べ、その犬を人が食べた)平均寿命が低かった。日本併合後は人口が倍増し、識字率も上昇する。ハングルを復活し、大学を建て教育制度を確立したためだ。日本は国家予算の数年分を朝鮮に注ぎ込んだ。

    マッカーサーと李承晩   

 反日活動をしてアメリカに亡命した李承晩は、アメリカの支持により初代大統領に任命された。彼が反日活動をしたのは、身分制度の撤廃で旧貴族である両班(ヤンパン)の権利が奪われたため。併合前の朝鮮で、奴婢には戸籍も職業も自由もなく、貴族階級が富を独占していた。大統領になった李承晩は、まだ日本が国連に加盟出来ない隙に李承晩ラインを引き、竹島を勝手に韓国領に組み入れた。

   
           <魯迅(左)と孫文(右)>

 中国の民主化と独立を目指して戦った魯迅と孫文は、共に日本へ留学している。医学者を目指した魯迅は東北医専(現在の東北大学医学部)で恩師藤野先生の影響を受けるが、後にはより多くの民衆に訴えるため文学者へと転身した。「亜Q正伝」や「狂人日記」」などを著して、病んだ自国民を啓蒙し、革命を訴えた。

 孫文は中国でも台湾でも「国父」と呼ばれて敬慕されている政治家で革命家。植民地化された中国の現状を憂い、革命に命を捧げる。彼を援助した日本人の一人が長崎の写真家梅屋平吉。彼は莫大な資金援助のみならず、時には大量の武器を日本から中国に送っている。明治初期の日本は西洋の技術と知識を率先して受け入れ、その専門用語を漢訳した。中国の近代化もそれによるところが大きい。

   
    <キャンベラ戦争博物館>

 今から30年以上も前だが、私はオーストラリアの美術館、博物館、大学を20近く見たことがあった。キャンベラの戦争博物館では日本コーナーもあった。第2に世界大戦で日本は敗戦国で、オーストラリア本土へも爆撃しているが、第一次世界大戦では連合国側として戦い、中国青島のドイツ軍を下している。そのことも含め、極めて正確かつ公平な展示な内容であることに驚いた。

 メルボルン国立博物館  

 また国立メルボルン博物館で驚いたのは、展示品の半分ほどが国民からの寄付だったこと。古代エジプトやオリエントの見事な美術工芸品が目白押しなのだ。もちろん大英帝国時代占領地から略奪したものだ。その子孫が悪びれることなく、自分の家に先祖から伝わった美術品を新天地オーストラリア建国の際に寄付したのだろう。ここではかかつて植民地を支配したことなどを反省するそぶりはない。

  

 これは「南京虐殺」をテーマにした中国の博物館。でかでかと30万人の数字が掲げられている。だが南京市の閉当時の人口は25万人で、30万人も殺せる訳はない。これは中国共産党が日本軍の残虐性をアピールするため、外国の新聞記者に依頼して書かせたもの。実態は共産軍が市民に紛れてゲリラ活動をしたために止む無く攻撃したもので、死者数はずっと少ない。それに共産軍と国民党の内乱が激しく、日本軍は中国からシンガポール方面に転戦する。

            

 これは30年前の「天安門事件」。行き過ぎた文化大革命に抗議する国民に対して戦車が突っ込んだ。死者は300名程度と言う発表だが、実際は2万人以上の犠牲者が出ていると言われる。中国では古代より政変による国家の興亡が常で、勝者が歴史を書き換えた。中華人民共和国になってもそれは変わらず、未だに権力闘争が続いている。一党支配の全体主義ほど怖いものはない。

   新型コロナウイルスを模した五星紅旗。

 韓国の師李承晩も大統領の地位を守るため、徹底的な反日教育を行った。従って日本の併合時代のことは全て間違ったことにした。それが今も続き、反日ならどんなことでも許されている。北朝鮮も含めてこんな国が近隣にあると、とても正常な外交は不能になる。コロナ騒動の今も、中国の艦船は尖閣の周辺に押し掛け、示威行為を繰り返している。<続く>





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Last updated  2020.04.27 00:00:10
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