カテゴリ:園芸・家庭菜園
~ 花と譬え(たとえ)~
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花 昔からわが国には、女性を譬えるのに、そんな表現がある。つまり女性に「しとやかさ」を求めたのだ。芍薬と言うくらいだから、シャクヤクには何かの薬効でもあるのだろう。そう言えばまだ江戸時代の頃、藩の薬園には芍薬も植えられていたはずだ。しとやかさだけでなく薬にもなるとは重宝な植物だ。 花の色と咲いている時期から、遠目にもヤマブキ(山吹)だと分かった。だが近づいて見ると花は八重だった。恐らく自然種ではなく、改良して園芸種にしたのだと思う。 七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき 北条早雲の家臣で初期の江戸城主だった太田道灌が武蔵国の片田舎を訪ねた際、急に雨に遭って農家に立ち寄り「蓑」(みの=わらで出来た雨合羽)を借りたいと願い出た時、娘が黙って山吹の一枝を差し出したと言う話が有名。 山吹には種が出来ないことから「実の一つだに」を「たった一つの蓑でさえもわが家にはございません」と恥じたが、道灌は意味が分からず田舎の娘すら知ってる古歌を知らなった自分を恥じたとされる有名な「故事」だが、武人にして教養人であった道灌が知らないはずがない。むしろ道灌は、農家が蓑すら持てないほど貧乏なのは、領主である自分のせいだと恥じたのだと思うがどうだろう。 小母ちゃんは花の名を聞いた私に、仙台弁で「いっぱつ」=イチハツと答えたが、アヤメ科の植物も識別は難しい。私にはジャーマンアイリスのように思えたのだが、実際はどうなのだろう。そう言えばこんな比喩もあった。 いづれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)。 美人の形容だ。また杜若には か 唐衣 からごろも き 着つつ慣れにし つ 妻しあれば は はるばる来ぬる た 旅をしぞ思ふ 在原業平が詠んだ 杜若着つつ慣れにし妻しあれば はるばる来にし旅をしぞ思ふ (古今和歌集)がある。これは「伊勢物語」に出て来る逸話だが、東下りの途中三河国八橋(やつはし 現在の愛知県知立市八橋)まで来た時、杜若を観て都に残した妻を思い出して詠んだとされるが、彼は平城天皇の孫に当たり蔵人頭、右近権中将、美濃権守で、実際は都を離れたことはないとされる。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|