テーマ:写真俳句ブログ(37601)
カテゴリ:俳句
~マックス爺の俳句論~
俳句を詠むと言う行為は芸術活動、つまり創造だ。自由で柔軟な発想が必要とされるように思う。空にはばたく鳥のように、自由な心で「ことば」を紡げたらどれだけ気持ち良いことか。自由自在に言葉を選び、それを組み合わせて一つの作品を生み出す。純粋かつ無限の行為のように思える。 その一方、自分を縛る何者かが存在する。俳句は十七音で構成される「世界で最も短い詩」。それだけに幾つかの約束事がある。曰く「季語」。曰く「切れ字」。曰く「古語」かつ文語体での表現。季語も切れ字も一つであることが原則。そして「上五」、「中七」、「下五」で構成され、その内容にも若干の約束事がある。面倒と言えば極めて面倒な文学なのだ。 俳句教室に通い出してから今年で3年目。講師からは俳句の歴史や約束事や常識めいたことを何度も聞いた。それで理解した積りになっても、俳句は奥の深い文学で、十七音(17文字ではない)と短いながら、「余韻」を重視する文学でもある。だから理解しがたい部分があるのも確か。それは日本の四季の移ろいであり、日本語の美しさと「言霊」の神秘性とも言えようか。 受講生は年配者が多く、中には80歳を超えた人もいる。人生経験はきっと講師にひけを取らないだろう。それなりに自分の俳句論を持ち、一家言もある。講師は地方紙の俳句欄に載る作品が詠めるように指導したいと言うが、私にはまったくその気はない。地方紙に載ることにさほどの意義を見いだせず、それよりも自分が納得出来る作品が詠めたら満足だ。最近の習作を以下に載せたい。 笹舟や白雨峰より荒磯へと *はくう=夕立 *ありそ=岩場の多い海岸 笹舟を海まで流す白雨かな 夕立風蔵王見へざる侘び住まひ *ゆだちかぜ *わびずまい 寓居あり蔵王隠しし夕立風 *ぐうきょ=仮住まい 夕立風たちまち蔵王隠れけり それらの作品は言って見れば虚構で、実体験ではない。笹舟、白雨、荒磯、夕立風、蔵王、寓居などいわば「絵」になる言葉を「見繕って」選び、それらを17音に入れ込んだに過ぎない。多分講師の「受け」は良いかも知れないが、自分としては大いに不満足なのである。本当にこんな句が、自分が詠みたい句なのか。自分が理想とする句なのかと悩みは尽きない。そこで「反逆の」の句lを詠んだ。 反逆の狼煙密かに卯月尽 *のろし *ひそか *うづきじん=旧6月の末 反逆の十七音や卯月尽 *じゅうしちおん=俳句のこと 焦げ飯も馳走となさむ土用入り いわば講師が理想とする俳句への反逆である。美しいばかりが俳句なのかと言う本音を詠んだ。焦げ飯の句はむしろ川柳に近く、人の行為の滑稽味を詠んだもの。無論これが自分の理想形ではなく、「こんなのも面白いんじゃないの」と言う感じだ。この後も幾つか俳句を詠み、その中から提出句を吟味したい。願わくば無心になって私なりの秀句が詠めるのを期待している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|