テーマ:写真俳句ブログ(37603)
カテゴリ:俳句
<花と俳句>
苧環(おだまき) 自分が撮った花を漠然と並べるだけなのはどうかと、今回は花の写真に俳句を添えることを思いが至った。例の実験精神である。だがそれには困難さも付きまとう。全ての花が季語ではないためだ。そして上の苧環は春の季語。ところが俳句の世界ではもう夏。理由は旧暦のため季節がずれているのだ。そして外国から来た花や、新たな栽培種などは季語に入っていない。 ならばどうするか。花以外の季語にすれば良いだけの話。頭をひねるのはボケ防止に有効だし、何より俳句の勉強になる。幸い時間はたっぷりあるので、後はどれだけ俳句の世界に没頭出来るかだけだ。では暫し花と俳句の世界にお付き合いあれ。 ヒマラヤの青いケシ 先日北海道のブロ友たくちゃんさんのブログを拝見したら、ヒマラヤ産の青いケシの花の写真が載っていた。以前三重のブロ友さんがヒマラヤへトレッキングに行った際に写真を撮り、ブログに載せた。それが青いケシを見た最初の出来事だった。噂には聞いていたものの、あまりの衝撃に声も出なかった。今回は2度目。何とかそれを題材にして句が詠めないか。暫し悪戦苦闘した私だった。 ヒマラヤの芥子の青きと出逢ふかな ヒマラヤの峠幾度翠き芥子 *いくたび *あおき チェリセージ 梅雨半ばカモメさながらチェリセージ アジサイ アジサイには「七変化」とか「四葩」(よひら)と言う呼び名がある。いずれも俳句の世界でのことだ。だが私はそんな気障(きざ)な言葉は使いたくない。「言葉」も当然大事だが、一番は内容だ。そこで「紫陽花」と言うありきたりの呼び名を使うことにした。 紫陽花の夢の通い路巨星墜つ *おつ *「巨星」は志村けんさん 紫陽花の変はりゆく彩数えけり *いろ 紫陽花や新聞すべて読み終へし ヒナゲシ ヒナゲシ(雛罌粟)は夏の季語で、虞美人草(ギビジンソウ)の別名がある。こちらも夏の季語。虞美人は中国の希代の英雄項羽の愛妾で美人の誉れ高かった。略して虞姫(ぐき)。 雛罌粟や田の水嵩もほど良くて *きずかさ 陽は昇り虞美人草の萎れけり *しおれ ハマナス 浜茄子や虞姫の裳裾もかくあらむ *ハマナス *ぐき *もすそ 浜茄子や美しき女みな逝きぬ *ひと ハマナスは夏の季語。海岸などに咲くバラ科の植物で、秋に赤い実が生りそれが「梨}に似ていることから、浜梨としたがそれが訛って「ハマナス」となった由。 バラ 薔薇散りて閑けさ戻る垣根かな 薔薇(バラ)は夏の季語。他の季節にも咲くため、秋の薔薇とか、冬薔薇(ふゆそうび)とか言い方を変えると、その季節の季語となる。 テッセン テッセンは蔓が鉄線のように見えたことからの命名。鉄線、鉄線花は夏の季語。鉄線の改良品種であるクレマチスも夏の季語になっている。私はカタカナを使わず敢えて漢字にして詠んだ。 鉄線花母の形見の博多帯 鉄線や躾厳しき祖母の貌 *しつけ *かお 鉄線や逝きたる祖母の佇まひ *ゆき *たたずまい 鉄線花祖母の形見の紺絣 *こんがすり 俳句に詠まれたことが全て真実とは限らない。句に託して物語を作る、つまりストーリー性を持たせるのも「あり」で。芭蕉はその天才でもあった。それが俳句文学とも言えようか。ただし、正岡子規は徹底した写生を重んじ、そのホトトギス派の主張がその後の俳壇の主流となった。ただし今日では現代俳句や時事俳句など、表現の幅が広がっている。 擬宝珠(ギボシ)の花 生真面目な故人なりしか花擬宝珠 ギボシの花はあまり面白みを感じない。地味で目立たない花だ。まるでその花のような生き方をした故人だったのだろうか。そんな気持ちを句にした。なお、「擬宝珠」とだけだと橋の欄干の「飾り」と間違える。そこで俳句の世界では「花」を頭につけて「花擬宝珠」とする。間違い安い花の名にも通用する約束事だ。例えば「花八手」これはヤツデの花。「八手」のままだと農作業などで使う道具。 タチアオイ(立葵) 立葵怒りをいかに鎮むべき *しずむ=鎮める 黄昏て母の呼ぶ聲立葵 *こえ *たそがれ <ノウゼンカズラ(凌霄花)> 咲いて落ち落ちては咲ける凌霄花 *のうぜんか 凌霄花終戦遠のく令和かな 凌霄花戦後遠のく令和の代 サルスベリ(百日紅) 百日紅終日妹背負ひけり *ひねもす=一日中 *せおい 背負ひたる妹重し百日紅 背負ひたる子の憎らしさ百日紅 ノウゼンカズ(凌霄花)、タチアオイ(立葵)、サルスベリ(百日紅)のいずれも盛夏の頃の代表的な花で、夏の季語である。稚拙な実験俳句に最後までお付き合いいただきどうもありがとうございました。<シリーズ続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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