テーマ:写真俳句ブログ(37603)
カテゴリ:俳句
<マックス爺の俳句論再び>
私が良く観るテレビ番組の一つに「プレバト」がある。正式には「プレバト才能ランキング」と言うらしいが、私にとってそんなことはどうでも良い。先日ここ8年間で詠まれた俳句1400句余りの中から、選者のなつき先生が50句の秀句を選ぶという企画があった。最上位の「天」に選ばれたのが東国原氏の次の句。 花奮ふ富士山火山性微動 (はなふるう ふじさん かざんせいびどう) 「プレバト」のルールは翌週の出演予定者が、同じ1枚の写真を観てそれぞれ1句詠んで提出し、それを選者が選んで順位を決めるというもの。もちろん選者はどの句を誰が詠んだのかは知らされていない。「天」の東国原氏の一句は、選ばれた言葉も表現も、日本語として俳句として美しい文句なしのものだった。やはり現代俳句よりも、基本を押さえた句の素晴らしさは格別だ。 この「プレバト」良く使われるフレーズが「発想を飛ばす」と言うもの。写真の印象をそのまま詠むのみならず、そこから得た別のイメージを詠むのも自由と言う訳だ。それは俳句を志す者にとっては、良いヒントになる。つまり自分が感じたものをどう表現するかの訓練であり、イメージをどう膨らますかの訓練でもある。ただし独り暮らしの私の場合は、通常競う仲間はおらず自分で作り、自分で評価するのみ。 先日、作りかけの梅干しの「梅酢」の上がり具合を確かめた。その時に詠んだのが、 重石退け梅酢の嵩を確かむる *おもし *どけ *うめず *かさ=量 そこからお寺の修行僧が梅干しを作るイメージが湧き、以下の句を詠んだ。 作務衣(さむえ)の僧 重石退け梅酢確かむ修行僧 禅寺や梅酢確かむ作務の僧 修行僧梅酢の嵩を確かむる 庫裏(くり) 庫裏には僧たちの暮らしの場や、食堂、厨(くりや=台所)などがある。そこに目を転じて。 大庫裏に梅酢確かむ作務衣かな 作務僧の梅酢確かむ庫裏の奥 *さむそう(寺の雑務をする僧) 確かむる梅酢の嵩や奥の院 次に僧たちの日々の勤めである読経(どきょう)の称名(しょうみょう=仏や菩薩の名を唱えること)に目を転じて。 梅雨寒に称名響く古刹あり *こさつ=由緒ある寺 梅雨寒や読経乱るることもなく *つゆざむ 梅雨寒や称名響く文殊堂 *もんじゅどう 梅雨寒や称名乱るることのなし 称名と言えば、「立山登山マラニック」(距離55km、高低差3003m)のコースである八郎坂から見える滝(落差400m)の名前が「称名の滝」だった。立山は山岳宗教の霊山であり、他にも仏教に因む地名が多く存在する。さて、「梅酢」と「梅雨寒」が夏の季語。梅干しを漬ける作業から思い浮かんだ一句が、こんな風にお寺での修行に変化した。 福井県の永平寺で観た厳寒期の修行僧の姿、宮城県松島の瑞巌寺の庫裏や、座禅を組んだ際の経験と記憶が私にこのような句を詠ませたのだと思う。それらの経験からの印象であり、果実でもある。言葉に対する追及には終わりがない。たかが俳句、されど俳句。俳句は奥の深い芸術。私が心惹かれる所以でもある。日本語の深遠さと俳句の本質を思う。退屈な話に最後までお付き合いいただき、感謝です。合掌。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|