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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.07.21
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カテゴリ:文化論
<想いは限りなく>

 

 先日youtubeで沖縄県与那国島の海中遺跡(上)を、とても興味深く観た。私がこの遺跡の存在を知ったのは20年以上も前。一人のダイバーがダイビングポイントを調べているうち偶然発見したのだった。当時はまだそれが本当に遺跡なのか、単なる自然の構造物かの判断は出来なかった。それを遺跡だと最初に判定したのが琉球大学理学部の木村政昭教授だった。

                     

 私は琉球大学勤務時代に先生と会って話したことがある。当時先生はまだ助教授だったはず。先生の専門は地学、中でも地殻変動だが考古学に興味を持ち「ムー大陸は琉球だった」と言う著書がある。私はそれを読んでいたのだ。沖縄本島北谷(ちゃたん)で発見された「線刻文字」などが論拠の一つ。世界の各地にある不思議な文字と共通性があり、北海道小樽のフゴッペ洞窟の文字なども同様で、海洋民族の特徴と先生は考えていた。

  
 木村先生はダイビングも出来て自ら与那国に行き、学生などと何度も調査した。上の図はその調査結果を図化したもの。youtubeではさらに進化し、特殊なレーダーで海中遺跡を精密に測量して3D化した。さらに遺跡は地上部の崖上に続き、そこに石像があった。私はモアイ像やアステカの石像とも似ているとの印象を受けた。八重山地方は隆起と沈降を繰り返しており、かつては地上にあった遺跡が海中に沈んのだろう。後日談だが、出雲大社付近の日御碕神社の直ぐ沖合の海中にも、古い宗教遺跡があることが判明した。ここも地震と地殻変動で海中に沈んだのだろう。

                

 島根県立古代出雲歴史博物館(上)の存在を知ったのは、昨年の山陰旅行の紀行文を書くためネットで検索してから。出雲大社境内から出土した鎌倉時代の柱が伝承と全く同じ状態であり、同館にも保存してある由。もうツアーで行くこともなく、残念な思いをしていたのだ。ところがコロナ不況で困ったツーリストから先日格安フリープランの案内が届いた。松江と出雲大社3日間の旅で往復飛行機の直行便だ。

  

 同館には荒神谷遺跡などから出土したおびただしい数の銅鐸と銅剣も展示(上)されている。これは願ったり叶ったり。例の10万円をこの際有効に使わせてもらう所存。神話の国出雲は謎が多い。国譲りやヤマタノオロチ伝説などだ。古代出雲王朝と大和王権との間で激しい闘争があったのは確実。だが両者は戦わずにテリトリーを分割して共存を図り、出雲は大量の武器と銅鐸を地中に埋めたのだろうか。

           

 さて、7月12日にオープンした国立アイヌ文化伝承館「ウポポイ」(上)の存在を知ったのは、昨年のこと。情報源は忘れたが、北海道の白老に1年後に開館することだけが頭に残っていた。ところが何と、旅先の大連でそのポスターを見たのだ。これにはビックリ。多分北海道へ観光客を呼び込むキャンペーンの一環だったのだろう。不思議な話だが旅をしていると、そんなことに何度も遭遇する。

  

 私が勤務していた国立民族学博物館(大阪府吹田市)にも、アイヌのチセ(小屋)があり、毎年アイヌの儀式をしていた。当時アイヌ出身で唯一の国会議員だった萱野茂氏と奥方がわざわざ来館され、私もアイヌのご馳走をいただいたことがあった。その縁で北海道平取町で氏が運営するアイヌ資料館と、平取町立アイヌ博物館を、「北海道マラソン」参加のついでに立ち寄ったこともあった。

        知里幸恵さん    

 アイヌ文化に関心を抱いていた私は、アイヌ語研究の第一人者であった金田一京助博士とその助手を務めた知里幸恵さんの苦心談も知っている。差別を受けながらも日本の高等教育を受けた幸恵さんが、博士の希望に応え、助手としてアイヌ語を日本語に翻訳する重要な任務を立派に果たした。若くして東京に出て苦労されたせいか、彼女は19歳の若さで亡くなった。類稀な才能の持ち主だった彼女の遺志を、弟の真志保博士(北海道大学教授など)が継いだ。

   

 ウポポイではアイヌの音楽や踊りなどを後世に伝え、アイヌ文化を広める役割も担っている。アイヌ(人間と言う意味)のみならず、それに賛同する日本人(アイヌは日本の先住民とされた)も一緒にこの事業に携わっている。私はアイヌの口承文学であるユーカラ(正しい発音はユカッラ)を読み、動画もたくさん観たが、コロナ騒動が落ち着いたら是非ウポポイ(アイヌ語で大勢で歌うと言う意味)を訪ねたいものだ。

   大連で観たポスター  

 国や領土と言う概念も文字も持たなかったアイヌ民族。そのために日本人に騙され、「旧土人保護法」によって自分たちの土地と生活の手段をほとんど奪われた彼ら。だが当時の蝦夷地をくまなく踏査し、アイヌ民族の文化をこよなく愛した松浦武四郎(初めて北海道の名をつけた冒険家)のような存在もある。いずれは札幌市の「北海道博物館」とこのウポポイを訪ねたいと願っている。

    宇梶剛士氏

 何気なく観た新聞に、ウポポイの開館の紹介と、この人の談話が載っていた。俳優の宇梶剛士さん。以前から風貌がアイヌっぽいなと感じていたのだが、その勘が当たった。東京生まれの彼はアイヌ出身の母親にアイヌの魂を叩き込まれた由。それが嫌で北海道に渡り、様々な職を転々として苦労した。だが自らの出自に誇りを持ち、アイヌとして生きることを自覚したそうだ。思いがけない出来事だった。

 旅を通じて歴史を学び、各地の文化に接する。私はアイヌや沖縄に対する偏見は一切ない。ただし、国の内外には彼らの民族意識を煽り、政治活動に利用しようとする動きがあるのも事実。長らく国立大学の図書館や国立博物館職員として勤めた私は、常に何が真実かを自分の目で確かめる習性があり、他人の言を簡単には信じない。曇った眼や頑なな耳では真実は見えず声も聞けない。これからも旅を通じて歴史と文化と真実を探し続けたいと願っている。





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Last updated  2020.07.21 10:10:11
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