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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.07.27
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テーマ:世界への旅(365)
カテゴリ:旅、温泉
<大連の市街と路面電車その1>

  

           

 大連市の人口は669万人。省都の瀋陽市に次ぐ遼寧省第2の大都会です。ここにはかつてロシアの租界があり、日露戦争で日本が勝利した後は日本がその権利を引き継ぎました。ロシア式の建築はその後も日本人建築家の手によって修繕されただけではなく、新たなロシア風の建築物が日本人の手によって建築されたのです。それらの建物が現在もロシア人街や日本人街として残り、観光の目玉になっています。

  

 古い時代の建物に、現代中国の近代的なビルディングがとても良くマッチしています。

       

  

 渤海(ぼっかい)や黄海に面した大連は、暖流が直ぐ傍を流れているために、冬でもさほど気温が低下することはありません。私も中国東北部の厳寒を覚悟していたのですが、その予想は良い方に裏切られました。

       

 「中山」は革命によって中国を近代化した孫文に対する敬称です。彼は国民のだれからも「国父」と慕われ通りの愛称も「中山大通り」としたようです。台湾でも各所で「中山」の敬称を目にしました。

  

    きっとこちらが「中山大通り」なのでしょうね。

     

 革命家となった孫文も文学者となった魯迅も、若き頃に混乱する祖国を離れ、日本へ留学していました。魯迅は東北医専で医学を学び、藤井先生などに手ほどきを受けました。また孫文は長崎の写真家梅屋氏に莫大な資金の提供や武器の調達など多大の恩義がありました。

 それらを含めて、中国の近代化のにはいち早く欧米の政治や学問を取り入れた日本の役割が大きいのです。外国の専門用語を漢籍の素養がある日本人が簡潔に「訳」しました。化学、物理学、社会科学、人文科学、哲学、倫理学、政府、憲法、市民などなど現在私たちが何気なく使っている「用語」の大半は明治初期に苦労の末に生まれ、これが書籍などを通じ中国の思想家や革命家、知識人に広がって行ったのです。<続く>





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Last updated  2020.07.27 00:00:14
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