テーマ:海外旅行(7487)
カテゴリ:旅、温泉
<大連市街と路面電車(2)>
大連と旅順への旅の3日目だったか。大連市内の路面電車に乗った。乗車時間はとても短い。市内の繁華街で乗り、10分ほどで降り、観光バスに乗り換えてとある宝石店に向かった。これは観光バスの車内から見えた路面電車を撮ったもの。日本ではとても少なくなった路面電車が、大連市内ではまだ現役で走っていた。立派な「市民の足」なのだ。急いで路面電車の停留所へ行った。 この路面電車も日本統治時代の産物なのだ。しかもれっきとした「満鉄」の運営によった。「満鉄」の正式名称は「満州鉄道」。日露戦争の勝利によって、ロシアから経営権を委譲された。日本は路線を拡張して日清戦争後に日本へ併合された朝鮮から北京に至る新路線を拡張した。大連市内の路面電車もその一環だ。満鉄は病院、図書館、博物館を作り、銀行や「調査部」と言うシンクタンクも持っていた。 運転席と女性運転手さん 台湾も朝鮮もそして満州も、今では「植民地」としてしか認識されていないが、日本は一切奪ってはいない。それどころか「内地」同様に教育、医療と厚生、農業を始めとする産業、交通網、ダムや発電などのインフラ整備に力を尽くした。それぞれの地に国立大学まで作ったのだ。長年植民地政策を採った欧米の列強がそんなことをした事例はほかにはない。日本は財政を傾けてまで、それらの地を整備したのだ。 車内には路線図と各停留所の案内が張られていた。停留所の名前は現代中国に相応しい名前に変わり、かつての「本字」から「簡体字」の表示になり、少し戸惑った。 車内風景も日本と変わらない平和なもの。経済大国となった近代中国の大連市民。その落ち着いた暮らしの一コマが見てとれた。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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