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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.08.04
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<古代玉造遺跡を訪ねて>

           

 ここは玉造温泉の中心地。かなり大きな温泉地であることが分かる。兵庫県の有馬温泉、愛媛県の道後温泉と共に日本の三大古湯とのこと。古代から皇族が訪れて入湯した由。私が宿へ行かずに向かった先は上の写真の赤い矢印の山。手前の小高い丘に玉造工房の遺跡と「玉作資料館」がある。そして背後の花仙山は古代からメノウの原石が産出した旧称玉作山(標高199m)だ。


  

 私は地元の方に2度「玉作資料館」への道を尋ねた。その都度「本当に行くのか」と言うような顔をされた。確かにきつい上り坂が続く。ほとんど運動をしてなかったここ数か月。だが考古学好きの強い想いには勝てず、ドンドン坂道を登って行った。

    
           

 先ずは道の右手の谷あいにある史跡公園を訪れた。上の写真が公園の全景。下の遺跡の標識は堂々たる大石に刻まれていた。説明板によれば大正12年(1922年)に付近の2遺跡と共に国の史跡に指定され、昭和44年と46年に発掘調査が行われた由。

 
     
      

     写真はいずれもこの地区の発掘調査風景。(昭和44、46年)

   

      発掘調査結果に基づいて復元された古代の玉造工房

        

               <古代の玉作り作業風景想定図>

このような作業をした工房の遺跡は、この周辺の宍道湖南岸に数十か所も点在している。(地図は次回に掲載予定)この後、私は丘の上の「玉作資料館」で展示物を時間をかけて観覧した。そして付近を調査しながら宿へと向かった。その途中で観たのが以下のものです。

   

 この古墳は玉作資料館のある丘の隣の丘にありました。小さな円墳で、頂上部にはむき出しになって横たわった石棺。古墳に眠っているのはここ一円でメノウなどの玉製品を作らせた古代の地方豪族だったのでしょう。

  

 今もこのようなかつての採掘穴が残っているようで、つい数年前も巨大なメノウ原石が発見されたと聞きました。「玉作資料館」については次回紹介する予定です。 

        

 これは翌日出雲市にある「島根県立古代出雲歴史博物館」の売店で自分用に買ったお土産の「勾玉」です。島根県産のメノウなら良かったのですが、インド原産の翡翠(ひすい)でした。でも古代の魂に触れる思いがして嬉しいのです。こんな内容の紀行文ですが、これが私の旅なんですよね。ダブルハートバイバイ<続く>





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Last updated  2020.08.04 00:00:12
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