カテゴリ:考古学・日本古代史
~舞台裏の話~
この博物館は異例づくめだった。観覧の順路はちゃんと表示されていたのか。歴史に関する博物館であれば年代順に展示するのが普通。それがいきなり大量の銅剣、銅矛、銅鐸が目の前にどど~んと現れた。私が古代出雲に対して抱いていた謎を解く糸口は見つからず、これまでの話は私が知ってることを中心に書き、写真もネットから借用するなどして組み立てた。今日は苦労しっ放しの舞台裏を見せよう。 銅ゆう鐘(左)と銅鏃(右) これらがあるコーナーへ来て、違和感がさらに募った。一見してそれらが古代中国の青銅器であることが分かった。台北の故宮博物館(台湾)や旅順博物館(中国)で、数多くの青銅器を見ていたからだ。小さな説明板を撮影していたお陰で、時代と名前が分かった。だが一般の入館者は疑問すら抱かないだろう。後でようやく展示の意図は分かったが、それにしても不可解だ。 有蓋鼎(真ん中)など 時代区分を明確にし、展示物が何であるかを客観的に示す必要があるはず。それが公立博物館の最低の仕事だ。まして「古代出雲歴史博物館」を標榜するなら、「古代出雲王国」の謎が解けるものでなければ。私はかつて素人ながらも考古学、古代史、人類学、文化人類学、神話学、民俗学、言語学などの専門書を読んだ「貯え」があったから何とか少しずつ謎解きが出来たが、もしそうでなかったらどうだったか。 以下は青銅製の鏡です。 それにしても不親切な展示だ。展示物の「名札」が小さく、説明も少ない。これでは自分の「霊感」に頼るしかないではないか。故宮博物館や旅順博物館はもっと分かりやすい展示だった。国内でも国立や県立博物館をかなり見たが、こんな「不思議な国のアリス」のように迷ったのは初めて。交通の便も悪いし、昨年ツアーで訪ねた出雲大社でも不愉快な思いをした。今年もその思いは同じだった。 撮影した写真を整理しながら私は戸惑い、「仮A」、「仮B」とかと便宜的な名前をつけながら前進した。形を見ればそれが何かは大体分かる。だが考古学資料に「大体」はない。だから「仮」なのだ。また展示全体の構成が不明のためそれらの明確な位置づけが出来ず、直感に頼ったのも事実。 ようやくこの写真を見つけた。「東アジアの青銅器文化と日本の青銅器」。つまりこの図では、古代中国の青銅器文化が、その後朝鮮半島と日本ではどう変化したかを示したかったのだろう。それにしても不親切。誰にでも理解出来る説明をもっと目立つよう、もっと以前に行うのは不可能だったのか。最初の古代中国の青銅器も小さな「説明板」を、たまたま私は撮影していたため、帰宅後こうして名前、用途、時代が分かった。普通の人はそこまではしないし、何が何だか分からないままに帰ってしまうだろう。 名前が不明だが、これも古代中国特有の意匠で貴重な資料だと感じた。他の青銅器もそうだが、古代中国の青銅器がなぜこの館にあるのか。島根県内の遺跡から出土した訳がない。そして購入も出来ない物のはずで、それをわざわざ展示する理由と経緯が不明だ。 最後に偶然見つけたのが、この小さな説明文。私は4時間かかって展示物を観、丁寧に写真を撮った。だから自分なりに理解し、ブログも書けた。この説明文によれば、結局古代出雲の、銅剣、銅矛、銅鐸は祭器としての位置づけが強い由。もっと早い段階でこの「説明」を入館者に出来なかったのか。博物館では分かりやすい展示と説明が何より大切。「驚かす」のは邪道。それが私の結論だ。勝手な感想だが、舞台裏の苦労が少しでもご理解いただけたら嬉しい。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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