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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.08.18
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~王から地方の豪族へ~

  

 こんな絵があった。「領地」を見回る王のようだ。昨日の騎馬像とはかなり様子が異なるのが馬の体格。ずっと低くて小型だったことが分かる。なぜあんな大きな騎馬像を作ったのかが疑問だ。
    
        

 そしてこちらは王とその馬を飾る装飾品と馬具の名称。照明と影が映り込んで見難いが、お許しあれ。

  
  

 上は轡(くつわ)などの馬具。下は鞍の前輪(まえわ)と後輪(しずわ)で座位を固定するもの。その下は鉄剣。

        騎馬像の王とは異なる冠と装身具

  

 王冠の形もそうだが、太刀の形も出雲の東部と西部とではかなり異なっていたようだ。それはそれぞれが同盟を結んでいたヤマト王権の中央豪族が違っていたことの証とある。騎馬像の王は出雲西部の出雲市上塩冶築山古墳の主だったから、上の王冠を被った王は出雲東部の王と言うことになろう。展示されていた太刀を以下に載せる。大部分は西部の出雲市上塩冶築山古墳出土品だと思われるが、詳細は不明。

  

 これは確か古墳の持ち主が明治時代に石室を開けて取り出したとあったので、西部出雲市の上塩冶築山古墳出土品だろう。それにしても見事な造りだ。

    

       遠目にはいわゆる「環頭太刀」のように見えたのだが。

        

 これも環頭太刀の仲間なのかも知れない。それにしても素晴らしい装飾性だ。古墳の持ち主が明治期に石室を開けて取り出し、剣を破壊したり研磨したりしているのが残念。西の出雲市西塩冶築山古墳出土品。

    この太刀も破壊されている。

     

        この太刀も鉄剣だが、他のものとは束頭(つかがしら)の形と装飾が異なる。

   

         装飾付太刀各種

            

<参考>東北の蝦夷や東国の豪族が使用していた蕨手刀(わらびてとう)。剛直で装飾性は極めて低い。

       

 さて、7世紀中ごろに律令国家の政権が誕生すると、権威の象徴でもあった装飾付太刀は不要になって行った由。

    

 奈良県明日香村高松塚古墳東壁に描かれた男子群像のイメージ。彼らはもう王冠を被らず、規則に従って位に応じた帽子を被り、ベルトも簡素で太刀も佩(お)びていない。平和な時代の貴人に太刀は不要になったのだろう。こうして天皇制が定まって安定した律令国家になると、国は武力ではなく法で動くようになる。<続く>





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Last updated  2020.08.18 00:00:09
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