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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.08.22
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~あの日出雲で何が起きていたのか~

               

 私は今、この本を読みながらこのシリーズを書いている。関裕二著「出雲大社の暗号」講談社文庫。その帯には「あの日、出雲に何が起きていたのか」とある。一体「あの日」とは何を指すのだろう。ヤマト王権の使いに「出雲の神宝」を騙し取られた日か、それとも出雲がヤマトに国を譲った日か、いやそうではなくヤマトタケルに代表されるヤマトの精鋭に大国主命が暗殺された日だろうか。

  

 一見穏やかに国譲りした代償としての杵築大社(後の出雲大社)。だが境内から出土した鎌倉時代の超巨大な宇豆柱と心御柱。そんな時代になってもなお、朝廷が出雲の神を畏れた理由はなんだったのだろう。そして出雲の神は一体何が悔しくて後世まで朝廷を苦しめたのだろう。原因はやはり出雲の神宝を盗み取られた怒りだろう。それがヤマト朝廷の「三種の神器」になったとすればなおさらだ。

                     

 同書で著者は出雲神の祟りの第一は疫病だと言う。使いを遣わした隋や唐、そして半島に渡って戦った新羅からなど、何度か疱瘡(ほうそう)がわが国に入って蔓延し、多くの死者を出した。出雲が古来「根の国」(あの世)とされたが理由もそこにあったのかも知れない。もう一つは第10代垂仁天皇の皇子が成人しても口がきけなかったこと。それらを朝廷では出雲神の祟りと考えて使者を遣わして許しを乞うた。

   

 思い起こしてほしい。大黒天は元々ヒンズー教の暗黒神。破壊の神だった。自分を裏切ったヤマトを恨み、神意を示したのだ。その猛威にヤマトは驚き、他に類例がない巨大な神殿を出雲に建立した。それも数度に渡ってだ。そして朝廷から勅使が遣わされる有数の大社となった。それでようやく大国主命の「荒御霊」(あらみたま)が鎮まったのだろう。

        

 上右図は有名な京都祇園祭の山鉾である。これは平安時代の貞観年間に京都で疫病が蔓延し、多くの死者が出たため犠牲者の霊を祀るために始まったとされる。祭りを主催する八坂神社(祇園社)の祭神が牛頭天王。山鉾もこの牛頭天王もヒンズー教縁のもの。そして牛頭天王は神仏混交でスサノオノミコトとの関係が取り沙汰されている。

 ここでも疫病、出雲の祟りが登場する。出雲は神が集まり、先進地区との交流で疫病も入って来た。また凄まじい出雲神のパワーは、怖い疫病すら鎮めると信じられた。そしてヤマト政権が出雲に大きな神殿を建てて敬うと、疫病はようやく退散したのだ。こうして大国主命そして出雲神の持つ温和さと凶暴性の両面が国全体に再認識されて行ったのだろう。

    因幡の白兎

 話の続きはまだあるのだが、先を急ごう。「島根県立古代出雲歴史博物館」を去るに際して、売店で一冊の本を買った。冒頭のものだ。その後北島国造家を訪ね、出雲市駅から第2日目の宿泊地である松江にJRで向かった。ところがこの本が面白過ぎて、何と気づいた時は「東松江」だった。てっきりその次が松江駅だと思っていたのだが、いつになっても松江駅のコールはなく慌てて途中駅で降り松江に帰って来た。

       ヤマタノオロチ  

 この本は旅から帰宅後の今も読み続けている。出雲王国とヤマト王権との関係など、著者の長年の研究に基づく知見が方々に散りばめられ、実に読み応えがあって面白い。古代史や考古学の学者ではない市井の市民が、よくもこれだけ丹念に「証拠集め」をしたものだ。必要があれば、この続きを改めて書くことにしたい。それにしても古代出雲は謎だらけで面白い。しかし真実の日本史とは何なのだろう。<続く>





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Last updated  2020.08.22 00:59:02
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