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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.10.04
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カテゴリ:歴史全般
~「海のシルクロード」その1~

  

 NHKがかつて放送した「シルクロード~絲〇之路~」の再放送を観たことについては既に書いた。
シルクロード」第1部12集は昭和55年(1980年)の放送だった。もう30年前のことだ。第2部18集は1983年からの放送。テーマ音楽、ナレーションともに懐かしく、明治以降各国の学術調査隊が中国奥地などにこぞって向かった記録などもあって貴重だった。

               

 「海のシルクロード」は昭和63年から翌年にかけて放送されたようだが、全く観てなかった。私は新しい図書館づくりを1人で手掛けていて、人生で最も忙しい時期だった。このたび再放送は、全くの偶然だったがそれだけに嬉しかった。名前だけは知ってる「海のシルクロード」だが、その実態は知らない。「一帯一路」で今注目を浴びているこの地域と歴史、人々の暮らしを知ることが出来て本望だった。

   

 イタリアベネチアの商人の息子マルコポーロ(1254~1324)は17歳の時叔父に連れられて、極東の地に向かった。好奇心からのことだが、結局彼はその後24年間にもわたってアジア各国を旅し、訪ねている。帰国後に書いた本が有名な「東方見聞録」だ。さて地図の海中に緑の線が見える。実はこれが彼の帰路。アラビア海のイランの港で下船し、そこからは陸路でローマに向かった。

  

 中央アジアを通る陸路のシルクロードもほとんど自分で足を踏み入れる地ではないが、マラッカ海峡、インド洋、そしてペルシャ湾もおいそれと行ける場所ではない。私たちが知ってる中近東と言えばアラビアンナイト(千一夜物語)が関の山だろう。だが、アルコールもガーゼもアラビア語と知れば、少しは親しみが増すかも知れない。さて次回からはいよいよ船での旅を続けようと思う。<続く>





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Last updated  2020.10.04 00:00:09
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