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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.10.06
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カテゴリ:歴史全般
~「海のシルクロード」その2~

  

 半月ほど前に観た番組なので、記憶が定かでない部分がある。放送を見ながら後で使えそうと感じた場面を何枚か撮った。今それを見、思い出しながら書いている。また補足のためネットで検索した画像も交えた。取材と異なる部分があるのはそういうわけで、お許しいただきたい。

               
 バーレーン周辺からダウ船に乗り込み、緊張感溢れるホルムズ海峡を通過し、オマーンのマスカットに寄港し、そこからパキスタンのカラチへ向けてアラビア海を突っ切ったことは記した。そこから先はインドの西海岸を南下し、最南端のコモリン岬へゴールするまで3度ほど船を乗り換えた。乗ったのは相変わらずのダウ船。小型の帆船で各地で商品を仕入れ、それを他の港で売ると言う商売だ。

   

 海は穏やかな時ばかりではない、モンスーンが荒れ狂う時などは身近な港に逃げ込んで嵐をやり過ごす。船にレーダーなどはなく、彼らは太陽と星の位置で現在地を推測し、インド洋やアラビア海に乗り出して行く。先祖代々、2千年近くもそんな暮らしを続けて来た海洋民族。東西を結ぶ航路。「海のシルクロード」は確かに今も存在していた。

    

 ダウ船はとある港町に立ち寄る。川辺に係留された小型船。そして岸辺のバザールには地元の人々が集まっている。町の名は「トマ」。ある聖人の名前から付けられたらしい。

              

 木々の間に白亜の建物が見える。TVの画面に「聖トマス教会」の文字が写る。インドでは珍しいカトリックの聖堂。船を降りた取材クルーは、町で不思議な話を聞くことになる。

   

 トマスはキリストの12弟子の一人。最後の晩餐ではイエスの向かって直ぐ右側に座り、手を空中に浮かした人物(右)。左は巨匠ベラスケスが描いた「使徒聖トマス」。しかしなぜ彼はエルサレムから遥かに離れた東洋の地までやって来たのだろう。

              

 イエスの死と復活を見届けた弟子は、キリストの信仰と奇跡を伝えるため、各地へ向かった。レバノンの海岸沿いに北に向かえばアナトリア半島(トルコ)、そこからさらに西へ向かえばギリシャやローマ。だがそれらとは異なって、一人だけ東に向かった使徒がいた。男の名はトマス。ようやくたどり着き彼が布教を始めた土地を、インドの民は「トマ」と名づけた。

  

 聖トマスが時々1人瞑想にふけったと言う岩山は、現在カトリック教徒たちの聖地となり、ことあるたびに各地から巡礼にやって来ると言う。撮影スタッフもその後を追って、山の頂に登った。

          

 聖トマス教会の内部。十字架の前に佇んでいるのは聖トマスと聖母マリアだろうか。マリアの腕には幼子が抱かれているように見える。極暑の地南インドの教会でも、日曜や聖日ごとに敬虔なミサが開かれているのだろう。

   

 民族衣装での結婚式。インドではヒンズー教、仏教、ジャイナ教、イスラム教などが信仰され、それらが複雑に混じった土着の宗教もある。聖トマス由来のキリスト教も、その後の貿易やヨーロッパの植民地となった関係から、ユダヤ教、カトリック、プロテスタントと様々なのであろう。<続く>





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Last updated  2020.10.06 07:53:13
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