カテゴリ:歴史全般
~景徳鎮の窯場にて~
景徳鎮の川港 ここは景徳鎮(けいとくちん)。昔から有名な焼物の産地。あの「お宝鑑定団」でも時々耳にする名前だ。江西省東北部にある地方都市で人口は101万人。昨日載せた煙突の煙は焼物を焼くときの煙。高温を持続させるため、燃料として赤松の丸太を燃やすそうだ。ここの歴史は古く、前漢(紀元前206~8)には既に陶器の生産を始めていたと言う古さ。 陶器製造の工場街 元の名は「原平」。それが北宋時代の年号「景徳」を町の名とする。宋代(960~1279)には青白磁の梅瓶が宮廷で用られる一方、遥々ヨーロッパやイスラム圏へも輸出されたことで「china」が陶磁器を意味する元となった。その後明代から清代にかけては大量生産体制が確立した。中国陶磁器名産地である「四大名鎮」の一つ。日本へは江戸前期に舶来し、「南京焼」と呼ばれていた。 生産工場の窯場へ続く道 そんな栄光の歴史を持つ景徳鎮が、これほど寂れてしまったのは、中国全土で荒れ狂った「文化大革命」の際、高級な陶磁器は「旧文化」として迫害され、紅衛兵による破壊活動を受けたためだ。それでも何十かの窯場は残り、今では庶民の生活に欠かせない商品を中心に生産している。また高級品の製作と焼成は企業秘密として、取材班の撮影は許されなかった。 焼く前に天日で干される作品群。変形を防ぐために必要な措置らしい。そして均等に風に当てるため、作品は斜めに並べている。 店先に並べられた商品は、生活必需品としての陶磁器だろうか。 捨てられた陶磁器の破片 川の向こう側の山は陶土を採る山だが、取材班が近づくことは許されなかった。景徳鎮の陶土はガラス質「長石」を多く含むため、薄くても強く堅い磁器が作れるようだ。「ろくろ」は日本と逆で「反時計廻り」に回転させ、陶器の破片で土を削りながら成形して行く。 窯では赤松を長時間燃やす。窯の中の作品に直接炎が当たらないよう、「特別な容器」に入れる由。焼き上がった際に、作品の表面に「むら」が出来ないための独自の工夫。 陶磁器を満載したジャンク船が長江を下って行く。行き先は一体どこなのだろう。 テレビの画面に一瞬だけ映った磁器は「上海博物館蔵」のタイトルがついていた。 次に写ったのはオランダの博物館の内部。インドのゴアにあった「東インド会社」を通じての貿易品なのだろう。恐らく景徳鎮をはじめとする中国の高級陶磁器の収集としては、世界でも有数のコレクションと思われる。 エジプトのカイロから出土した磁器の破片の写真と、ゴミ捨て場で拾った破片の絵柄を比較してみる取材班。すると、オランダやエジプトへも取材に行ったのだ。そしてシャム湾(タイとカンボジアの南側にある)には、中国の陶磁器がきれいなままで残された沈没船が沈んでいる由。なるほど、景徳鎮の陶磁器が船に積まれてエジプトやヨーロッパに運ばれたルートつまり「海のシルクロード」が目に浮かぶ。 明日からは「俳句教室」の準備のため、一旦このシリーズから離れます。ただし「特別企画」を2,3回分臨時に挿入します。あっと驚く美しい写真。しかも今日は見られなかった超豪華なお宝です。「鑑定団」に出るような物とは別格。観るだけでも10万円の価値はあるでしょう。何せ私が現地で必死に撮った珍品で一見の価値あり。これほんとのことアルヨ。ではまた。 <不定期に続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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