カテゴリ:写真
~冬木立と梢~
晩秋ともなれば、樹木はその様相を大きく変える。特に広葉樹の変化は大きく、美しく紅葉、黄葉していた葉が散ると、虚空にその無残な姿をさらけ出すことになる。骨だらけの丸裸。だがこんな姿が私は好き。葉を落とすのも養分を幹や枝に貯えて翌年の春への備えなのだろう。無駄のないそのフォルムを今日は写真のテーマにした。殺風景な写真ばかりだが、作者の意図を感じ取っていただけたら嬉しい・ 丘の上の高木。まだわずかに葉が残っている。元はきっと開拓地のはず。そしてここは崖の傍。すぐ横には急な坂道があるのだが、何年か前にはこの裏側に緩やかで広い新道が完成し、この旧道を通る人や車はめっきり減った。この木の向かい側に小さな村社がある。奥州藤原氏征伐の時、頼朝が勝利を祈願したと伝わるが、恐らくは単なる言い伝えだろう。 これも上の木から数百メートルの地点にある寺の境内。左手に見える石は墓石。ここは旧国道のさらに古い時代の道が通っていた場所。もっと先に行くと笹谷街道と秋保街道の分岐点に出る。戦前まではK村と呼ばれ、この周辺は村の中心地だった。 私が俳句教室に向かう際に通る道。真ん中に広い緑地帯があり、高木が列をなしている。樹の佇まいからすると、恐らくこれはユリノキのはず。初夏、ユリに似た形の緑の花を咲かせる(右上参照)。だがあまりにも高くて、その花を見ることは困難。ミツバチが蜜を吸いに来るので有名だ。私が10年間勤務した筑波大学にも「ユリノキ通り」があった。とても成長が早く、あっという間に大木になった。 黒々と濃き陰影や冬木立 冬木立翳黒々と屹立す かげ きつりつ 裸木が好きな上に逆光が好きな私は、天邪鬼なのだろうか。そのせいで写真の対象に困ることはない。ただし読者の好みと異なるかも知れないが、そのあたりをあまり斟酌はしないのがマックス爺の流儀。 ユリノキの東端 美しき裸体ばかりや冬木立 冬木立去年も今年も変はらねど こぞ(去年) 花梨二つ冬の梢に輝きて かりん 逆光の銀杏 金色のちひさき鳥の形していてふちるなり夕日の丘に 与謝野晶子のこの歌を初めて知ったのは確か小学5年の時。今から60年以上も前の話です。教科書で習ったため、もう「新仮名遣い」のはず。でも「てふてふ」が蝶々とはビックリでした。 碧空や小さき枝の先の秋 へきくう 残照に負けず柿の実光りけり ざんしょう 里荒らす熊をらぬらし枝の柿 残照や人なき里の木守り柿 きもりがき 仙台市指定銘木のケヤキです。樹齢は200年を超えるでしょう。ケヤキ(欅)は宮城県の県木であり、かつ仙台市の市木でもあり、仙台市の中心街にも街路樹としてたくさんのケヤキが植樹されています。特に定禅寺通りでは例年12月初旬から下旬までの「光のページェント」期間中は、数百本のケヤキ並木に発光ダイオードが点灯され、冬の風物詩になっています。コロナ禍の今年も実行予定です。 <参考 「仙台光のページェント」風景=定禅寺通り(第1会場)> 冬の夜は光り輝く欅かな ケヤキ <参考 勾当台公園(第2会場> 手をつなぎそぞろ歩きの聖夜かな <続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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