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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.12.19
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<土砂降りの首里>

 

 肺然たる雨の中で私は考えた。首里方面にどうやって向かうか。晴れていれば安波茶(あはちゃ)から首里の平良へ歩けば30分で着く。だがこの雨では無理。腹も減った。郵便配達の人にソバ屋の場所を聞いた。だが定休日で閉店。モノレールで儀保駅に向かう。経塚駅周辺が一変している。次の石嶺も様変わり。30年の間に沖縄はすっかり近代化した。王朝時代の経塚は物騒な峠道で、安寧のため仏教の経典を塚に埋めたと言う。たくさんのお墓の上をモノレールが走る。

           

 経塚で思い出した。経塚を現地の言葉で「ちょうじか」と発音する。そして「ちょうじか、ちょうじか」は呪(まじな)いで、内地の「くわばら、くわばら」と一緒。「どうぞ助けて」の意味。お経は魔物を封じ、桑畑は根っこが張って地震の揺れにも強かった。シーサーは獅子が訛ったもので、家を魔物から守り、「石敢当」(いしがんどう)は中国の強い将軍の名を刻んだ石を三叉路に置き、魔物の侵入や迷子を防いだ。他愛もないが、何だか微笑ましい沖縄の民間信仰。ダブルハートウィンク

              

 儀保駅で降りて歩くと、道路の拡幅工事中。菓子店がい。ここでお土産を買う予定だったが移転したのか。安謝川の水量が凄い。大雨が一気に流れ込んだみたい。家庭排水が混じった小川が、下水処理施設が出来たのか今では透明。横道へ入るとサーターアンダギー(沖縄式ドーナツ)の専門店が3階建てのビルになっていた。私たちがいた時はとても小さな店だったのに。

    インドワタノキの花

 隣にはインドワタノキの大木が3本あった。ピンクの花が素敵で癒されたのだが、1本も残っていない。かつて住んだ宿舎に向かう。「玉城理髪店」は無い。城北小の校庭に入る。次男が少年野球をしたグラウンド。西武の山川はどうやら後輩のようだ。伊礼商店も閉じ、優しかったオバーの姿も見えない。裏の畑は住宅で埋まっていた。30年の歳月が、当時の懐かしい風景を私から奪った。

                      

 見るもの全てが異郷に思えた赴任当時。ゴムやガジュマルの大木。パパイヤ、グァバ、マンゴーが植えられた庭。上司の激しいパワハラ。4月末から5か月も続く蒸し暑さ。泥棒が多いため網戸にも出来ない物騒な街。長女の大学進学に伴って妻、次男は2年で本土に戻り、高3の長男のため、私は毎日食事を作り洗濯をした。苦しみの中で2冊の詩集を発行し、島中を走友たちと走り回ったあの当時。

 

 伊江家の陵墓(上)は健在だった。格式高い亀甲墓。王家の親族だけに立派なお墓。周囲は塀で囲まれ、少ししか中が見えなかった。木々が鬱蒼とし、草深い墓地はハブが好む場所。読谷山(ゆんたんざ)王子の陵墓は工事中。当時は楽なコースだったが、今は歩くだけでも息が弾む。石嶺本通りが拡張されてモノレールの軌道に変化。小さな食堂で遅い昼食。ど素人味。これなら私の手料理の方が断然美味い。

 王朝時代の首里崎山付近図    

 「首里りうぼう」でトイレを借り、首里城に向かう。だが「首里駅」の位置が変わって、方角を間違えた。裏口から首里城内へ。だが気が変わり、金城町の石畳道を観に行った。その途中にある中国からサトウキビの苗を持ち帰った儀間真常の墓は不明。30年前も偶然発見した場所。降り続く雨で視界が悪く、金城町の石畳道を通り過ぎ、地元の方に道を尋ねた。

    
      <金城町石畳道>           <真玉道の石畳>

 「金城町石畳道」は日本の道100選にも選ばれた観光地。赤瓦屋根の家も多くて確かに「絵」になる場所。見どころも多いが今回はパス。教えてもらった「真玉道」を少し下った。最近整備したようだが風情があるこの道は、首里城から那覇の真玉橋までの抜け道と聞いた。初めてだが来られて良かった。

            

 首里城南の崖下に「寒川」(さんがー)と言う名の泉発見。首里森(すいむい)に降った雨が地下水になって湧き、昔は貴重な飲み水だったはず。「寒川」は水の冷たさからの命名だろう。沖縄では川も泉も「かー」と言う。因みに樋のある泉は「ふぃーじゃー」。内地では失われたF音やP音が沖縄にはまだ残っている。寒川はかつての日本軍の塹壕にも使ったようだ。

  
           <首里城守礼の門>

 10以上もある首里城の城門の一つから城内に入る。「京の内」に向かう森の中に、御嶽らしい石組を発見。だがそれらは新しく作られたもので、風情も神威も感じられないただの「工作物」だった。世界遺産の園比屋武(そのびやん)御嶽もパス。本来は江戸への旅の安全を祈る場所。城内で一番神聖な首里森(すいむい)御嶽も新しかった。信仰の対象になってないため全く威厳を感じない。

            首里城の城門の一つ   

 入場券を購入する際は「モノレールの2日通用券」を見せれば2割ほど安くなるみたいだが、大雨で注意力が飛んでいた。それよりずぶ濡れになった財布の、飛行機の搭乗用紙が心配。グシャグシャで破れてないかと気がかり。休憩所でこの日2度目の着替え。受付嬢が「授乳室」で着替えてと案内してくれた。ありがとうね、親切に。

    首里城城壁

 彼女は中城村(なかぐすくそん)出身の由。私が中城村の集落名を幾つか上げると驚いた。中城城主の護佐丸や彼が眠る亀甲墓のこと、中城城の裏道のカニマン(鍛冶屋)の墓のことなど話すとさらに驚く。私は中城城の雰囲気が好きで、4度以上は訪ねた。お礼を言い、焼失した正殿跡へ向かう。<続く>

          
 
    <参考:中城城> 翌日の第3日目に訪ねたが、大雨で全然見えず予定変更した。当時の遺構が良く残っていて姿の美しい城。世界文化遺産の一つ。城内には3つの廓や犬走、降り井戸(うりがー)、首里方面を臨む「除き窓」などがある静謐な城。付近に重要文化財の「中村家住宅」があるが、コロナ騒動で残念ながら閉まっていた。





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Last updated  2020.12.19 11:11:41
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