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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.12.20
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<マックス爺のザッとした沖縄史>

     南西諸島地図

 ザッとした沖縄史を記します。南西諸島は一時大陸とつながっていた時期があり、その後隆起と沈降を重ねて現在の形になりました。ハブのいない島は海に沈んだため。日本で一番古い人骨が石垣新空港建設作業時、地下の洞窟から数体発見されました。約2万7千年前のもので、港川人や山下洞窟人(共に沖縄県)より1万5千年ほど古いと判定されました。沖縄県から古い人骨が見つかる理由は、アルカリ性の石灰岩のため。内地は火山灰が多く酸性土壌で、骨が融けやすいのです。

    

    石垣市白保出土の人骨(左)と頭蓋骨から復元した容貌(右)

 DNA解析の結果、縄文人にかなり近いことが分かっています。アイヌのDNAとは少し離れたグループで、インドネシア近辺のDNAの特徴と類似性があったと記憶しています。縄文土器は宮古島が最先端。ただし弥生時代の須恵器は与那国島でも発見され、年代による交流範囲の変化が見て取れます。逆にインドネシアなどと同様の丸木舟を刳り抜くための丸ノミ状石器が、東京の新宿でも発見されています。

     デイゴの花   

 伊豆七島の利島の黒曜石が、広範囲で出土しています。奄美のイモガイやゴホウラガイは国内各地で釧(くしろ=腕輪)に加工されています。逆に糸魚川のヒスイは沖縄本島で発掘。モノや文化の交流がかなり古くからあったことが分かります。全ては丸木舟での移動です。ただ鬼界カルデラや姶良カルデラ(共に鹿児島県)の大爆発による降灰が兵庫県にまで及び、数千年間暮らしに影響を及ぼしたとされています。沖縄では採集が主だった「貝塚時代」が10世紀近くまで続きましたが、最近の学説はどうでしょう。

            ユウナの花

 文献への沖縄に関する記述は奈良時代からです。阿児奈波(あじなわ=沖縄)、久美(くみ=久米島)、志覚(しかく=石垣島)は、南島人の言葉を「ヤマト人」が聞いた「音」に漢字を当てたのですが、雰囲気は伝わります。沖縄では芋を「ウム」と言います。ヤマトの古語では「うも」です。それだけでも共通性があると分かります。沖縄では日本語の古語が母音、子音共に変化して異なる言語のように感じますが、基底は一緒なので「一方言」とも言えましょう。

   ハイビスカス

 沖縄には「南走平氏」伝説があります。内地の落人部落と同類です。私は竹富島の集落で、わが祖先は平家と書かれた看板を見ました。また源氏の頭が琉球王朝の祖となったとの説がありますが、「琉球処分」以降に考えられた「日琉同祖論」でしょう。九州南部の倭寇が沖縄の島々に基地を築いたとする説には説得力があり、ヤマトの地名(従って姓も)が多い理由です。

        月桃(現地語ではサンニン)  

 薩摩侵攻以降はヤマトと琉球人を識別するため、同姓の場合は琉球人の姓の漢字や音を意図的に変えました。中曽根→仲宗根。中山→仲井眞。舟越→富名越。中間→仲間、名嘉間。平→平良。松村→松茂良。横田→与古田などなど。ただし山田や石川は変えようがないため、そのまま残っています。大笑い

    

 さて11世紀になると、各地に権力者が現れます。いわゆる按司(あじ=領主)です。さらに統一が進んで、3つの王国が誕生します。今帰仁城を根拠とする北山王国は「はん安知」を名乗りますが、領地の羽地(はねち)の音を借りたもの。南山王国は南山城を根拠とし、他魯毎(たろみ)を名乗り、中山王国は浦添から王都を首里に移し、「尚」を名乗ります。中国に朝貢する必要性から漢字を当てたのです。最終的には中山が統一して琉球王朝を開きました。

    

 北山の今帰仁城は女性に変装した中山の兵が敵将に酒を飲ませて酔わせ、油断したところを殺して城を奪いました。

   

 南山城の他魯毎王は希代の女好き。重要な泉を中山王は美女と交換して手に入れ、怒った村人は王を見放した。泉は現在も「美女がー」(美女の泉)と呼ばれています。ただし写真は別の泉です。水道がない昔は大切に扱われ、拝所が設けられたほどです。川が短くてあっという間に海に流れ込む沖縄では、泉は命をつなぐ大切な施設。集落を作る際も「風水」(現地では「ふんし」と発音)的見地から決めた由 。

 中城城と護佐丸    

 中城城城主の護佐丸(ごさまる)は希代の忠臣で、娘を王妃として差し出しました。王の舅です。この城に対峙していたのが勝連半島の勝連城。城主の阿麻和利(あまわり)は力のある豪族で、城下は中国との貿易で栄えていました。それを監視するのが護佐丸の重要な任務。そのため警備の兵を集めて訓練に励んでいました。

    阿麻和利と勝連城

 阿麻和利の妻は王女の百十踏揚(ももとふみあがり)。阿麻和利は王にとっては婿に当たります。阿麻和利は一計を案じ、護佐丸が兵を集めて謀反を起こしていると、首里に偽情報を伝えます。百十踏揚は父に早飛脚を出しますが、間に合いませんでした。王府の大軍が迫るのを物見から見た護佐丸は全てを悟り、無抵抗のまま王の兵に討たれます。

    プリメリアの花    

 百十踏揚の従者の鬼大城(うにうふぐすく)は事情を知って阿麻和利を討ち取ります。王府軍と阿麻和利軍が戦闘になるのを防いだのです。そして王女と共に無事脱出します。王は王女と鬼大城を結婚させ、鬼大城は新たな任地に赴きます。その後、王に疑念を抱かれた鬼大城は死を賜り、その地に葬られます。王女の百十踏揚は第一琉球王朝の陵墓、旧玉城村の仲井眞城に葬られています。実に悲しい話です。

    

 さて繁栄を誇った琉球王朝に終わりが来ます。内乱で勢いを失った上、後に残されたのは幼い王子。それを救ったのは大臣の金丸(右)でした。彼は伊是名島生まれの百姓で、素性も良く分かっていません。伊是名では彼の田だけがいつも水に満ち、村人たちは彼を水泥棒と疑っていました。い辛くなった金丸は首里を目指して島から逃走します。

            月代宮(旧佐敷町)

 どう運をつかんだのか首里の城への出入りを許され、役人に取り入って出世する金丸。幼い王子の摂政となり、王国の滅亡を救ったのです。当然金丸の人望は高まり、彼の支持者は増加する一方。そして皆に推されるまま王となります。名を尚円と改め、第二琉球王朝の始祖となります。そして彼の子孫は「琉球処分」に到るまで王であり続けます。

   百按司(むむじゃな)墓(今帰仁村)

 金丸の素性については諸説
あり、倭寇の子孫説もその一つです。伊是名島は神秘的な島で、その美しい風景に驚いたものです。海と山に屹立する「海ギタラ」、「山ギララ」の威容。神の憑代(よりしろ)の神アシャギ(足上げ=立ち寄る)からの転)の崇高な雰囲気など忘れることが出来ません。沖縄は不思議に満ちた島です。

 大好きなエメラルドグリーンの海   

 尚円に始まる第二琉球王朝にも幾つかの波乱があるのですが、紙数が尽きたので今日はここまでとします。拙い話でどうも済みません。時間がないため記憶に頼って書きましたが、正確な史実は各自でお調べいただけたら幸いです。ではまた明日。バイバイスマイル <続く>





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Last updated  2020.12.20 23:52:12
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