テーマ:国際政治などなど(54)
カテゴリ:ニュース・社会の動き
~流浪・難民・亡命~
ミャンマーの前首都ヤンゴン ミャンマーの前の首都ヤンゴン(以前はラングーンと呼称)は人口500万人を擁する大都会。日本企業が440社ほど進出。人件費が上がった中国から移転した企業も多いみたいです。アメリカのポンペオ前国務長官は1年ほど前からミャンマーでクーデターが起きることを予測していた由。現在の首都はヤンゴンから300kmほど離れた高原の仏教都市ネピドーに移転しています。 ダライ・ラマ14世 ダライ・ラマ14世は1935年(昭和10年アムド(現在の中国青海省)の農家生まれのチベット族。4歳の時に生き仏ダライ・ラマ14世と認定され1940年に即位。1951年までチベットの君主の座に就いていたが、1959年インドへ亡命して政治難民となりインドの北部カシミール地方のダラムサラに樹立された中央チベット行政府(通称チベット亡命政府の国家元首となった。 チベットラサのポタラ宮殿 ダライ・ラマ14世が住んでいたポタラ宮殿。1950年人民解放軍がチベット東部を武力で制圧。翌年には全土を武力で鎮圧して中国領として併合。チベット族の犠牲者は120万人に上ったと言う。中国共産党の狙いは豊富な鉱物資源と水資源、そして国境を接する隣国への進出のためだ。 亡命政府国旗 ダライ・ラマ14世は世界に散らばるチベット人の精神的な指導者として1989年ノーベル平和賞を受賞。日本へも2度来日している。チベットにはダライラマのほかにパンチェンラマもチベット仏教の生き仏として信仰の対象だったが、中国共産党によってその後廃絶された。 ポマ・ギャルポ氏は1953年中国四川省生まれのチベット族。5歳の時、インドに逃れたダライ・ラマ14世を追って家族と共にインドに亡命。イギリスなどへ遊学後政治亡命者として来日。亜細亜大学卒業後研究者、ジャーナリストの道を進む。モンゴル国立大学政治学博士。モンゴル国大統領顧問。ブータン王国政府特別首相顧問。現在は拓殖大学国際日本文化研究所教授。日本に帰化して日本人となった。 中国内のチベット語圏 ダライ・ラマ14世の故郷である青海省もポマ・ギャルポ氏が生まれた四川省にもチベット語を話すチベット族がいる。宗教はチベット仏教で、モンゴルの宗教も同じチベット仏教。あの勇猛なチンギスハンもチベット高原のある山岳地帯までは征服出来なかったが、近代兵器を有する中国共産党は武力で広大な土地を征服した。力づくで奪ったチベット、ウイグル、内蒙古を合わせると、国土の半分に相当する。 「中国は消防士のふりをした放火魔」、「最終目標は天皇の処刑」。ペマ・ギャポ氏の著書のタイトルはいずれも激しくてセンセーショナル。5歳にして故郷を追われ、インド北部のカシミール地方まで家族と共に歩き通した苦しみがそのまま本のタイトルになったかのようだ。生まれながらの亡命者の目には、中国の姿がそのように映るのだろう。彼にとって日本は果たして第二の故郷になれたのだろうか。平和ボケした日本人にとって、彼の平和への切なる思いがどれほど理解出来るのだろうか。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.02.06 00:00:10
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