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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.02.16
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カテゴリ:歴史全般
~大河ドラマから知る歴史~

  

 2月15日月曜日は新聞休刊日で、朝から雨が降っている。これでは買い物には行けない。もうかれこれ10日近く買い物に行ってないため、冷蔵庫はほとんど空っぽに近い状態。それでも何とか食いつないで生き延びている。その後地震は起きてない。東日本大震災の時の震度は7強で、マグニチュードは9.0。その後も震度5クラスが1日に何度も起き、「地震酔い」していたあの時に比べたら全然楽だ。

              

 さて、新しく始まった「青天を衝け」の冒頭に、北大路欣也扮する徳川家康が江戸開府から明治新政府までの歴史の流れを滔々と語りかけたのにはビックリ。もちろんあり得ない話だが、その奇抜さが妙に気に入った。第1回目に出て来た、渋沢栄一の生家の大きさにも驚かされた。まるで庄屋のような佇まい。そして青年時代の栄一が腰に大刀を帯びていたことにも目を見張った。

  

 だがストーリーが進むにつれて、事情が分かって来た。渋沢家は養蚕や藍玉を作り、商人でもあった。それで名字帯刀を許されていた由、それで納得だ。岡部藩の「血洗島」と言う地名の奇妙さ。どうやら「荒地」を意味するみたい。しかし江戸時代の農村を髣髴させるあんなロケ地を、よくも探したものだ。あの風景を観て江戸時代の農村を偲んだ。それにしてもあれから150年で日本の風景は一変した。

                       

 さて先ごろ放送を終えた「麒麟がくる」で、明智光秀に抱いていたこれまでイメ-ジが変わった。生地や若い頃のエピソードも伝わってないそうだが、それを補ってあまりあるストーリーの展開に魅せられた。足利将軍家との関係や北陸の雄朝倉氏との関係、そして信長に仕えた経緯などが理解出来た。そして天下取りに懸ける信長の姿勢に違和感を覚えて行く光秀の心の葛藤の増幅さえも。

   

 そして染谷将太が演じる織田信長も初めは若過ぎてどうかと思って見ていたのが、天下取りが近づくにつれて権力欲や支配欲が漂う独裁者の風体を良く体現して、さすがは俳優と感心して見ていたほどだ。一方、佐々木蔵之介演ずる豊臣秀吉はさすが。それこそ百姓から太閤に上り詰めただけあって、いかにも知恵者の成り上がり者らしさを醸し出していた。

                 

 私と光秀との関りはないのだが、全くないかと言われたらそうでもない。彼が城主だった福知山は「福知山マラソン」(フル)で走ったことがあり、彼が堤を築いた由良川もコースの一部でその橋を走って渡った。また彼の居城だった大津市の坂本城付近に泊り、翌日はそこから京都駅まで走った。また「本能寺の変」後に秀吉と戦った太閤道や山崎は大阪勤務時代の宿舎高槻から近く、訪ねたことがあった。

  

 またお正月に見た「邪馬台国」関係の歴史番組では、「九州説」と「近畿説」の双方について丹念に論証していて面白かった。中でも近畿説については、「纏向遺跡」から3800個も出土した桃の種の話が面白かった。桃の実の呪術性と卑弥呼が執り行った「鬼道」との共通性の存在だ。そして全国各地の焼き物が出土するのは、ヤマト政権の誕生にもつながったと推理。結局2つの説以外は無理とも断じた。

          

 同じくお正月番組だった「大仏開眼」上下は再放送で、観たのは2度目だった。聖武天皇、光明皇后の大仏建立に寄せた壮大な想いと、それを実現するために立ち上がった吉備真備や行基の苦労。そして天皇や皇后を操り、天下を我が物にしようと画策した藤原麻呂と恵美押勝(藤原朝狩)らの反逆と見所満載の一大スペクタクルで、何度見ても心が躍る。しかしNHKの金持ち加減は呆れるほどだ。<続く>





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Last updated  2021.02.16 07:05:42
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