カテゴリ:歴史全般
~アイヌの話~
昨日載せたアイヌの墓標は「クワ」と呼ばれ、死者が使う「杖」なのだと言う。元々アイヌの墓は個々の子孫ではなく集落全体で埋葬、供養するのが普通だったと言う。恐らく明治以降から1970年代にかけて、全国の人類学者や解剖学の研究者たちはこのような場所からアイヌの人骨を勝手に掘り起こして持ち帰ったものと思われる。 札幌医大標本館所蔵の人骨は「オホーツク人」と言われるようだ。アイヌと同様に元々はアムール川 の河口付近に住んだツングース系の民族だったと思う。古代日本では「靺鞨」(まっかつ)などの名で知られており、後に百済の白村江で唐軍に敗れた阿倍比羅夫が、当時は渡島(わたりしま)と呼ばれていた北海道南部の蝦夷(えみし)を退治したのがこの民族だった。<続く> 書きたいことがあるのに、体調が悪くてどうしても書けません。暫くブログを休む必要があるようです。そう言う訳でどうもスミマセン。体調が戻ったら、また再開しますね。では、また。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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