マックス爺のエッセイ風日記
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<a)沖縄の火山島> まずは昨日の続きで火山島の話から。でも鹿児島県の分は終わって、今日は沖縄県。上の図はその火山島の位置で、赤い矢印で「ここです」と書いてある。ところが右側(東側)に鹿児島県とあるのになぜか沖縄本島はずっと南にある。それでもここは沖縄県。つまり「飛び地」なのだ。島の名は硫黄鳥島。その島名にヒントが隠されているが、さて分かるかどうか。 上の図は島を上空から見たもの。島には円形の地形が大小3か所以上ある。火山の火口のようだが、色は白い。ここはかつて硫黄を採掘した場所だが今は無人島。島の住所は沖縄県島尻郡。沖縄本島の最南端の郡なのが2つ目の謎。実は昭和34年(1959年)の噴火時に島民全員が避難したのが久米島で、そこが島尻郡だったため。久米島の泊集落の一部に「鳥島」の地名をつけた。私は70歳の時に「久米島マラソン」(フル)を走ったので、集落の風景を今も覚えている。偶然だが楽しい思い出だ。 崇元寺石門 これは那覇市安里にある崇元寺の石門。去る大戦で破壊され、後に復元された。琉球王朝時代、硫黄鳥島で採掘された硫黄はこの寺の隣の「硫黄蔵」に収容された。かさばるため精製されたが、王国の首都で硫黄を精製したら発生した有毒ガスで困っただろうが。実は硫黄は中国に貿易品として送る貴重品。火山のない中国で火薬の原料の硫黄は採れず、琉球に頼っていたのだ。 恐らく300年間は中国のために採掘されたはず。そんな歴史から明治以降も沖縄県に編入されたのだろう。なおこの石門の前を戦前は軌道車が走っていた。路線は4つあり、いずれも人とサトウキビを運んでいた。いかにも南国らしい話だが、現在では那覇市と浦添市を結んでモノレールが走っている。 久場島 久場島は尖閣諸島の一つで沖縄県所属。明治期には人が住んで仕事をしていた。そのことは後日改めて書くが、今日はこの島が火山島であることだけ紹介したい。良く見ると丸くくぼんだ地形が2か所見える。恐らくは火山の火口痕だと思われる。そのほか西表島の海中にも気泡を生じる場所がある。きっと海中で熱水が湧いているのだろう。 <b)氷河期の「日本列島」> さて上の図は氷河時代(約200万年前~1万年前)の地形の様子。現在のインドネシアとボルネオ島は陸続きで「スンダランド」と呼ばれ、アジア大陸にも繋がり、台湾から日本へと緑色の陸地だったことが分かる。その途中に飛び出て「琉球弧半島」と書かれた箇所がある。南西諸島と日本列島は完全につながっておらず、以前記した生物学上の境界線になった。 「スンダランド」の東側には、オーストラリアとニューギニアと陸続きの「サフールランド」と呼ばれる大陸があった。海が凍ったため海面が低下して陸続きになったのだ。なお2つの大きな大陸の間には「小スンダ列島」があるため、人類が割と簡単に移動して行った。オーストラリアの原住民のアボリジニ、ニュージーランドの原住民のマオリ族、ミクロネシアの人々などだ。 下田遺跡出土土器 上は沖縄県波照間島の下田遺跡から出土した新石器時代(縄文時代)の土器で、インドネシアや台湾の土器の特徴があると言われている。陸続きになって人類が移動し易くなった影響だろう。日本最古の石垣島の人骨(3万5千年前)のDNAがインドネシア人の特徴と似てるのも同じ理由。なお、同遺跡からは西表島にしか生息しないイノシシの骨が出ており、縄文人が丸木舟で行き来していたことが分かる。毎回専門的な楽しくない話で済みませんが、私の好きな分野なものでつい。ではまた明日。<続く>
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