テーマ:★☆沖縄☆★(2872)
カテゴリ:心のふるさと「沖縄」
~沖縄における信仰と祈りの形(1)~
私は沖縄が大好きだ。だから沖縄の話を書いているうちに死ぬことがあっても本望と思うくらい。わが家にも沖縄のものがたくさんある。シーサー4対。漆器は2個。抱きビン2個。織物2種。トックリ1個お猪口2個。版画数枚。だがそれを撮らずに今日のブログを書き始めたため、とりあえず借り物の写真を載せて置こう。 漁船はサバニ多分小舟(さぶねの変化だろう)と言い、パイナップルみたいな実はアダンで、ヤシガニの大好物。手前の海がエメラルドグリーンなのは、サンゴが砕けた白い砂のため。沖が紺色なのはそこから急に深くなっているためで、その境にサンゴ礁がある。サンゴ礁の内側がイノー(内海)と言って、昔から潮が引いた時はカニや逃げ遅れた小魚やあーさ(アオサ)を採って食料にしていた。 これは首里城内にある首里森御嶽(すいむいうたき)。首里城の中でも最も大事な聖地で、私も沖縄勤務当時に見たはず(?)なのに全く厳かさを感じなかったのは、多分現在では信仰の対象ではなかったせいだろう。塀の内側に樹が茂っている多分ガジュマルのはずだ。本来はこの木が樹がご神体だったはず。 ガジュマル 沖縄を代表する樹木のガジュマルは成長すると樹高20mにもなる。そして枝から髭のような気根(きこん)を垂らして空気を吸い、それが地面に届くと根付いて太くなると支柱根(しちゅうこん)になる。上の写真にも支柱根が見える。こうして幹だけでなくたくさんの支柱根が生えるのは、強い台風に耐えるため。痩せた土地では根は板根(ばんこん)と言う板のように立った根になって幹を支える。 ソテツ ソテツは良く見られる植物。沖縄ではクバと言い、この葉を編んで笠にした。クバが変化してフボーと訛る。飢饉の時はソテツの実をあく抜きし、毒素を少なくして食べた。神の島久高島には「フボー御嶽」と呼ばれる聖地があり、島で最も重要な儀式を執り行った。ここは男子禁制で神職の男が最も大切な儀式の時だけ入れた。ガジュマルもソテツも神の憑代(よりしろ)で、神道の神木と一緒。つまり沖縄には日本の古代神道が色濃く残っているのだ。首里城も初めは森しかない聖地で、城はかなり遅れて出来た。 左は沖縄本島最北端の辺戸(へど)岬。奥の尖った山の頂上に安須森(あすむい)御嶽(右)がある。 私は沖縄在住中に一度だけ登ったことがある。猛毒のハブが出そうで怖かった。長靴を履き、棒で草むらを突きながら用心して登った。頂上には何もない。それが本来の姿。高い峰(沖縄では嶺の字を用いる)に神が降り立つのも内地と同様に北方民族共通の神話なのだ。 頂上には小さな祠と香炉があり、「ここは神様と交信する大切な場所です。汚さないでください」と書かれた小さな表示板があった。沖縄神話で辺戸岬は沖縄の男女神アマミキヨとシネリキヨが初めて上陸した地とされる。最北端のここに初めて着いたと言うことは神は奄美方面から来たわけで、名前からも海人族(あまぞく)だったことが分かる。縄文土器も神も内地から島伝いにやって来たことを暗示する。 中城城の大井戸 なかぐすく城の城内には大井戸(うふがー)がある。ここはかなり大きな城で沖縄本島を貫く脊梁山脈の標高150mほどの丘陵上にある。敵の阿麻和利(あまわり)の居城である勝連城を見張るには好都合の場所だった。だが飲み水を得るために掘ったのがらせん階段状の石段を下りた先の井戸で沖縄では「かー」と呼ぶ。人工的に作った泉で水が貴重な沖縄では聖地であり、信仰の対象となる。首里城では感じなかった厳粛さをここで感じたのは、背後の森が自然であるためだろう。だがこの城のある本島中部も沖縄戦の激戦地だった。 ここは宜野湾市にある普天間宮の地下洞窟。ここが元々信仰の対象で、本来は風葬の地だったと私は思っている。だから沖縄人は先祖を祀った。日本神話にもイザナミが亡き妻イザナミを追って黄泉(よみ)の国(あの世)を訪ねる場面があるが、風葬募を想定させる状況だ。温度と湿度が高い沖縄では、洞窟に遺体を置けば、そのまま腐って遺骨だけが残る。神社の建物が建つのは明治以降に日本に帰属してからだ。 風葬墓 モノクロなので昔の写真だが、お棺の先に見えるのが人骨。現在ではちゃんとしたお墓(沖縄では色んな形をしたものがある)に葬り、かつての風葬墓は石垣と漆喰で封鎖されるのが大半だが、地方は離島には未だにそのまま残るものがあり、私は本島中央部の嘉手納町で見たことがある。恐らくは戦争で関係者が全員死亡したため、手をつけずに放置した「財産」ではないかと考えられる。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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