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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.12.18
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~詩画集から借りた版画~

           

 自分が持っている本から版画を借りようと思う。本の名は「詩画集 日本が見える」。東京の書店から1983年に出版されている。今から38年も前だ。その頃私は筑波にいて、沖縄とは出会っていない。筑波から5番目の職場に転勤し、沖縄に赴任したのはその後。本は沖縄勤務時に職場で現物を見、書店に発注したもの。今回書架から取り出したのは、私が沖縄で書いた詩と組み合わるためだった。

    オキナワを返せ

 ところが絵が激し過ぎて私の詩とは雰囲気が合わない。詩人も画家も共に沖縄人(うちなんちゅ)で、沖縄は日本に復帰してまだ日が浅いころ。彼らには日本人(やまとんちゅ)に対する恨みつらみが大きかったはずだ。島津藩による琉球王国への侵攻、琉球処分による沖縄県としての従属、激しかった沖縄戦と戦後のアメリカ軍政府の発足、その後の民政府の誕生と日本への復帰。

      昔の物売り     

 貧しかった沖縄は明治以降、大勢の人が内地や外国に移民した。内地では差別に苦しみ、外国では慣れない環境と風習に苦労したことだろう。だからウチナンチュの熱い思いがこの詩画集にも満ち溢れてる。詩人の名は新川明、そして画家(版画家)の名前は儀間比呂志。本にはページも振られておらず、版画のタイトルも一致しない。そのため、詩は載せずに絵(版画)のみ。それで作者がこの本を通じて訴えたかった沖縄の精神を感じてもらえたら嬉しい。今回版画を借用したことに感謝したい。なお絵のタイトルは読者の理解のために私が適当につけたものであることをお断りします。


    三線を弾く男

 沖縄では三線(さんしん)を弾きながら歌います。民謡はウチナンチュの命であり、最大の慰めです。

            

 かつては頭に載せたザルに物を入れて、ヤマモモの実や魚などを売っていました。

  

 紅型(びんがた)の衣装を着た女性が琉球舞踊を踊っています。周囲を取り囲んでいるのは、恐らく猛毒のヘビのハブだと思われます。

               

 神行事をする久高島のノロ(祝女)のようです。最大の神行事であるイザイホウは無くなりましたが、その他の神行事はきっと今でも続いていることでしょう。

  

 踊っているのか、それとも跪(ひざまづ)いて祈っているのか。

             

 これは何だか良く分かりません。多分島に自生する植物を図案化したものと思われます。

    

     これも神行事をするノロみたいです。

        

  踊り手が手に持っているのは華やかな色の「花笠」です。右上に見える「龍柱」(りゅうちゅう)は、進貢した中国から贈られて首里城正殿の正面入り口を飾っていました。

                  

 琉球王朝時代は税の取り立てが厳しく、百姓は働きづめでした。飢饉の時はソテツの実まで食べ、その毒で死んだ人も多かったようです。食べるためには粉にして熱を加え、無毒化する必要があったのです。農民が飢えなくなったのは、中国からサツマイモが伝わって以降です。サトウキビも中国から伝わり、良い換金作物になりました。島津藩は利益を上げるためにサトウキビ生産を奨励し、百姓が飢える原因にもなりました。

  

 浜で魚を仕分けする女性。右奥に見える小舟がサバニと呼ばれる小型の漁船で、男たちは集団で漁労に励みました。かつて糸満(いとまん=漁村)では女が魚を買い、自分で売り歩いて得た収入を自分のものにしていたそうです。糸満の女性が自分の財布を持っていたことは、沖縄では有名な話です。

               

 力強い表情の女性。背後には赤瓦屋根の家が見えます。那覇か首里近辺の女性でしょうか。

  

 幼子を抱く女性。後ろに見える植物がソテツで、琉球語では「クバ」と言います。クバが訛ると「フボー」と変化します。琉球語には日本の古語が色濃く残り、「pa」や「fa」で始まる言葉もあります。N音とM音の入れ替わりもあり、新原(にーばる)が「みーばる」に変わります。また5母音が3母音に変化し、今もその影響が残っています。オがウに、エがイに置き換わるのが特徴です。

                 

 棒術で戦ってる様子でしょうか。琉球王朝が成立すると、民衆は刀狩りで武器を奪われます。そのため棒など手ごろに入手出来るものが武器に代わりました。また空手の原型である武闘も沖縄で発祥し、今でもたくさんの流派があります。沖縄では「手」(てぃー)と呼ばれています。文字通り手だけが武器と言う訳です。

   

 良く分かりませんが大きな龍を棒で持ち上げているようです。ひょっとして中国から伝わった「龍踊り」(じゃおどり)でしょうか。長崎などでは今でも祭りで見られます。

                

 人物の手前には「ばら線」が見えます。基地返還運動を表現したのでしょうか。「沖縄は奪われっ放し」それがウチナンチュの偽らざる心情なのでしょう。でも決してそうではないのです。海洋民族である縄文人、奄美や琉球人は昔から丸木舟で往来し、言葉も文化もイネを始めとする穀物も島伝いに伝わりました。現代人はそれを忘れただけの話。私は心からそう信じています。





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Last updated  2021.12.18 07:43:03
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