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マックス爺のエッセイ風日記

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2022.01.19
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カテゴリ:文学
~離合集散と魂の独立~

  

 今日もブログを書いている。指先を切った手袋をして。水仕事で手がかじかんだので。ウオークマンで買った儀式用の白い手袋も、次第に汚れて来た。「汚れちまった悲しみに今日も小雪が降りかかる」。30歳で死んだ中原中也の詩の一節だが、雪国では何もしなくても死ぬ。屋根から落ちた雪に埋もれたりして。ホームレスは最低気温零下5度の仙台が、住まいの限界と聞く。住む家があるだけ私はマシか。

           

 離合集散は人の世の常だ。幼くして母と生き別れた私は、その後色んな別れを経験した。若いころの同人仲間との別れ。信仰との別れ。文学との別れ。仕事との別れ。妻との別れ。去っていったものの数々。そんなことで私は案外別れに慣れて行ったのかも知れない。だが別れと同じくらいの出会いもあった。有難いことではないか。別れも出会いも生きていればこそ。自ら身を引いたことも多かった。

  

 インターネットの世界でも色々渡り歩いた。ホームページ。掲示板。字だけの日記。ブログ。脅迫や嫌がらせもあった。WWWも結局は人間世界なのだ。だから何が起きても不思議ではない。死の直前までブログを書いていた人。認知症になった人。だが、それにも懲りず私はブログを更新し続けている。それも連日。いわば「ブログ中毒」だが、表現の手段が広がったのも確か。何でも載せられるブログは最強。

                    

 離婚した年に始めた短歌は1年も持たなかった。理由は簡単で、同人の代表を信じられなくなったためだ。人格も歌人としての資質も、その言動の何もかもが。多分私の方が感性も作品の完成度も優っていたはず。私は彼の添削を拒否し、この同人はやがて崩壊すると直感して退会した。私の退会後、3人が退会したと聞いた。長年管理職として組織を見、人を見て来た私の目に狂いはなかった。

  

 その翌年から通い始めた俳句教室。変だと感じることが多くても、私は黙って聞いた。頑固で偏屈な講師でも、学ぶ点が数多くあった。それだけ私はずぶの素人。俳句理論や日本の短文学の歴史。それを「ただ」で学べるだけでも良いじゃないの。講師と喧嘩して辞めた人が過去にはいたみたいだが、私は人と喧嘩はしない。喧嘩するなら俳句と言う世界での勝負。素人には良い句を詠むしか道がない。

                


 彼から学べるものは全て学んだ。そして私は作風をいろいろ変えて行った。だが自分の信念を貫いたことに変わりはない。表現は実験。人生もまた然り。実験を恐れれば進歩はない。若いころから詩や小説や短歌や芸術に親しみ、常に本物と接して来た私にとって恐るべきは自分自身の慢心。それを忘れさえしなければ、発展の可能性はある。教室を辞めた人も何人かいたが、去らば去れ。私は心身が許す限り残る。

  

 他のブログや日常の出来事から触発されることも多い。詩心を揺さぶられて詠んだ俳句や拙い川柳は、実験かつ挑戦。恥をかくのも修行のうち。若いころから私はどれだけ汗をかき、恥をかいて来たことか。それらの全てが「肥し」になったと信じたい。人生死ぬまで修行。後どれだけ修行可能かは知らない。多分知ったに時は死んでるのだろう。

         

 さて明日はその俳句教室。今日中にどの句を提出するかを決めて、清書する必要がある。だがあまりにも秀作が多過ぎて選ぶのが大変。それは冗談として、考え抜いて選んだ句が評価されないことも多い。やはり視点が違うのだろう。だが私は心の中で反論する。「全国紙の俳句欄に載る句は、彼の持論よりもっと自由だよ」と。「選者が多い全国紙は、彼が推奨する地元紙のレベルとは質が違うよ」と。さて、次回からそろそろ各論編へ進むべきか。<続く>





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Last updated  2022.01.19 00:00:12
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