復興と復調を願って(いわきサンシャインマラソンリタイヤ記)その5
≪ 予定通りのリタイヤ ≫ いや~、残念。お握りとイチゴを食べたかったなあ。お握りは腹もちが良くてエネルギー源になるし、イチゴはビタミンCが豊富で疲労を防いでくれる。皮の厚いミニトマトは消化が悪そうだが、仕方なく大き目のを2個食べた。さあ、気を取り直して出発だ。標高43mの三崎公園から小名浜港が見えた。そして広々とした太平洋も。ここから一気に海岸まで下る。 既に歩いているランナーが目立つ。22kmで歩くようでは、普段10km程度しか練習していないのだろう。そして、前半飛ばしたのが今になって影響するのだ。急激な下りでも、膝への影響はないみたい。重ね着した手袋の1枚は脱いだ。次の目標は24.2km地点の第4関門。時間はまだ十分に残っている。慎重に下ってトンネルを抜ける。 1km毎の距離表示が嬉しい。これを1つずつ潰して前進する。いつもと変わらない小名浜の風景。だが、港の岸壁に近づいた時に、大震災の痕跡を見つけた。更地になった土地だ。きっと建物が崩壊したのだろう。ここからは港の中を岸壁に沿って走る。停泊している大きな船にも懐かしさを覚える。私にとっては2年ぶりのコースなのだ。 アクアマリンパークが近づいた。ここが第4関門だが、ゴール地点でもある。K藤さんの話だと、ここでH多さんとK村さんが待ってる由。彼女達を目で追ったが、それらしい姿はない。私はここでリタイヤする予定だった。ここだと直ぐに荷物を受け取れるからだ。だが、応援する人ばかりで、スタッフはいない。とうとうリタイヤのきっかけを失って、走り続けるしかなかった。 ここからは行けば行くほどゴールが遠のく。果たして今の自分に残された力がどれだけあるだろう。お握りを食べそこなって、腹も空いた。25km地点の第6ASでバナナを食べる。これが小さ過ぎてエネルギーにならない。応援の人から黒砂糖を4片もらって食べた。これでどうだろう。港への引き込み線を渡って市街地へ出ると、間もなくゴールのランナーが続々帰って来るのが見えた。 今なら3時間25分くらいのゴールだろうか。元気な人が多いが、中にはヨレヨレの仮装ランナーもいた。やはりこの暑さで消耗したのだろう。それを観る私の脚も重くなって来た。ゆっくりと最長でも23kmくらいの練習しかしていない身には、そろそろ限界が近づきつつあるようだ。ガクンとスピードが落ちた時、K野さんが前方から戻って来た。 驚いた彼が慌ててカメラを向ける。ありがとうと一声。こんな所で同じ走友会の仲間に出会えるのは嬉しい。翌日の新年会で尋ねたら、急だったため写真は撮れてなかったようだ。右手前方に小名浜製錬のボタ山が見え出した。雪が少しだけ残っている。これもまた懐かしい光景。角を曲がると28km地点の第7給水所。ここにAさんがいた。 彼も同じ走友会の仲間。復路だとここが40km地点に相当。残りは2kmちょっとなので、すっかり安心して寛いだ感じ。それが私を観て驚いたようだ。「頑張って~!!」と手を振る。きっと私の方がよほど疲れた表情をしていたはず。ここでゆっくり水を飲む。そしてゆっくりと歩き出す。道端のスタッフにリタイヤする方法を尋ねると、「救護」の腕章を付けたスタッフに申し出れば良いとの返事。 なるほど分かった。これで一安心。今日のゴールは30km地点と決まった。再び角を曲がって進むと30km地点。時間は12時45分ちょうど。3時間45分かかった計算だ。これはキロ7分30秒ペース。これだけの距離をこれだけのスピードで走れたら十分。既にテーピングを施していた膝には痙攣が来ていた。そして左足底に鋭い痛みがあった。 無理すればこれまでの経験で完走出来るだろうが、その後が怖い。30.3km地点の第8給水所まで歩き、救護スタッフにリタイヤすることを告げた。目の前をM仙人が通り過ぎた。結局彼は70代で9位だったそうだ。入賞は8位までだったみたいで残念。それが走っている仲間を観た最後だった。スタッフの話によれば、前のリタイヤランナーは、収容車が来るまでに1時間かかった由。ええ~っ、それじゃ困るんだけど。<続く>